Scribble at 2025-09-01 16:49:42 Last modified: 2025-09-01 16:51:54

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定型発達、いわゆる“健常”と言われる人は、表情・視線・声・身振りやその変化に注意を向けてしまうという“特性”を持っています。その特性をベースに人との自然なやりとりの中で言葉を学びます。しかしASDの人々は表情・視線・声・身振りに自然に注意を向けることができず、やりとりを通じた言語の習得がうまくいかない。その代わりに自分が興味を持ったメディアコンテンツを繰り返し視聴し言葉を学んだのかもしれません。

自閉症の人は方言を話さないって本当ですか

ASD の人が方言を話さない傾向があるのは事実だとして、その理由あるいは解釈として幾つか紹介されているが、この手の議論を眺めると、たびたび不思議に思うことがある。それは、なんで根拠や原因が「たった一つ」でなくてはいけないのかということだ。もちろん、これは僕が複合的な要因の組み合わせというモデルを扱って学位(修士号)を得ているという経緯から感じやすいのかもしれない。確率的な因果関係のモデルでは、一つの原因から一つの結果が生じるという単純なパターンは、どちらかと言えば例外的であって、もっと言えば現実にはありえないことだというのがコンセンサスになりつつある。世の中で起きている事象の全ては、必要条件でない事象も含めた複数の事象から作用を受けて起きているのであって、必要条件を除外したパターンだけで考えても現実の理解にならないのはもちろん、モデルとして形式化したり概念として分析するにあたっても多くの要素を軽視したり無視してしまうことになる。結局、必要条件の他はどうでもよいなどという理解で因果関係を定式化していても、それは出来損ないの AI と同じであって、全く簡単なレベルのフレーム問題にすら対応できない欠陥モデルしか組み立てられないのである。

この場合も、ASD の人は他人とのコミュニケーションが成立しにくいせいで、周囲の人が話す方言を習得できないという解釈と、周囲の人とのコミュニケーションが不足してるせいで、周囲の人が話す方言よりも YouTube やテレビ番組などの標準語を習得しやすいという解釈とは、僕には排外的な条件関係にあるとは思えない。寧ろ、それら二つは関連していて、周囲の人々と話す機会が少ないためにメディアからの影響が強くなって方言を習得しないという解釈の方が自然であろう。

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