Scribble at 2026-08-30 18:47:21 Last modified: 2026-08-30 18:50:51

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「AIに意識はあるのか?」という疑問に対するGoogle研究者の見解

「哲学者ごっこ」をしていれば給料がもらえる連中にとっては深刻な話題なのかもしれないが、僕らのような哲学者に言わせれば、こんな茶番など時間の無駄でしかない。AI とは違って、本当に意識や知性なるものがある人なら、悪いことは言わないから、ちゃんと僕のように大学院の博士課程で哲学を学び、研究してきた人間の言うことくらいは聞いてもらいたいとは思う。

そもそも、Google がフロリディのような情報哲学の研究者を招いたりするのも、僕らに言わせれば単なるアリバイ工作にすぎないのであって、自分たちはちゃんと適正に誠実に節度あるスタンスでサービスを開発したり設計したり運用しているというポーズ、あるいは株主対策という芝居をしているだけのことだ。だが、それを分かって付き合ってるのであろうが、そんなことにばかり関わっているからこそ、フロリディなんてこの10年くらいのあいだ、哲学的な業績なんて全く出せなくなっている。何か言ってるとしても、雑な文明論や大言壮語ばかりで、まるで電通や博報堂の市場・トレンド分析の報告書みたいなものだ。哲学的な価値はゼロに等しい。

そもそも、この記事の中で書かれているように、「意識は個人の中に閉じたものではなく、他者との関係性に関わるものだ」なんて発想は、アメリカでは古典的なキリスト教徒の発想であって、なにも珍しかったり新しいものではない。つまりはブーバーの『我と汝』の表装替えでしかない。しかし、もし誰かとの関係性においてしか意識があるとかないとか言えないのであれば、僕らが一人で家のなかでものを考えているときに、僕らには意識がないという話になってしまう。AI だけがそういう例外的な条件で意識を認められるのであれば、それは意識の定義を勝手に引きずり回しているだけでしかなく、哲学がどうこうと言う以前の問題であろう。

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