2022年06月27日に初出の投稿

Last modified: 2022-06-28

山陽電鉄は「社員の逮捕は大変遺憾。コンプライアンス意識を改めて徹底する」とコメントした。

「断れなかった」旅館で同僚を盗撮容疑 山陽電鉄の男女車掌を逮捕

何か不祥事が起きると、「コンプライアンス意識を徹底して」云々と発表する会社があるけど、おかしいと思うんだよね。まるで大学生が旅行先で起こした不祥事について、大学の学長が謝罪してる様子を眺めている時に抱くような違和感がある。

「コンプライアンス」なんてつまらない言葉を使うから、言ってる当人たちも言葉と観念の自己催眠にかかるのだ。要するに、これは業務の範囲に限ったとしても、「社員が罪を犯さないようにします」という当たり前のことを言ってるだけである。もちろん会社の業務として違法なことをしないよう徹底させるというのは可能かもしれない。でも、鉄道員が同僚を温泉で盗撮するとか、自衛隊員が乱交パーティを開くとか、教師が女子高生を囲んで弄ぶとか、そんな業務外でプライベートにやってることを、どうやって会社や自衛隊や学校が防ぐというのか。そんなことができるという妄想を人が抱くようになるのは、組織がその構成員の私生活や人格そのものまで育成したり矯正したり適正化できるという、明治以来の学校教育や未熟な教育学が日本に蔓延させた「全人教育」という錯覚が原因である。

本来、こんなことを口にするなんて恥ずかしいことだと思わなくてはいけない。ましてや、こんなものを経営理念に掲げたりするような会社は、役員による資金の私的流用とか、営業の詐欺的手法とか、財務の二重帳簿とか、デザイナーやシステム担当の無知・無教養・無能とかが横行している、寧ろ犯罪予備軍みたいな会社だと思ったほうがいい。これは僕の持論だが、人は自分に欠落していることを目標や理念として掲げるものだ。国内で延々と内戦や暗殺を繰り返してきた日本とかいう国が「和を以て尊しと為す」云々と言ってるのも、大英帝国とかいう田舎国家で「騎士道」だの「ジェントルマンシップ」だのと言ってるのも、農産物以外に実は特筆するべきものもなく殺戮を繰り返してきたフランスとか言う国で「友愛」だのと言ってるのも、あるいは何かと言えば右も左も「自由」だ「フェアネス」だと口にするアメリカとかいう差別大国も、結局は自分たちが実現していないことを理想として掲げるのだ。

そして、業務に関わる特別法を知らないせいで罪を犯すことのないよう社員を教育するというのはわかるが、刑法に定められたような、言わば人として避けるべき犯罪について、会社がいい歳した大人を教育・指導するなんておかしなことだ。こういうことが起きたときの対応は、実は簡単だ。即座に懲戒免職にして切り捨てることである。そして、反省するべきなのはコンプライアンス意識なんて外来語の格好いいフレーズで語られる空虚な態度なんかじゃない。単に、採用基準を修正したり厳格にすることである。要するに、人材採用なんてどこの会社も歩留まりあるいは打率なんぞ1割も届かない。採用のコストを考えたら真剣に基準を検討するべきだが、厳しくしすぎると採用するべき人が見当たらなくなるので、どこで妥協するかが重要だ。

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