Scribble at 2024-12-23 15:00:29 Last modified: 2024-12-23 15:19:12

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Unlimited Access—and a Free Tote

来年は The Atlantic を購読しようかと考えているのだが、購読プランの比較をよく見ると、デジタル版 + 印刷版を選んでも "Ad-free access" ではないことが分かったので、ちょっと意欲が減退している。僕は広告を見るために年間で1万円以上を出費したいわけではないからだ。これは、日本の既存の報道機関や新聞社にも(やっとナベツネも死んだことだし)再考を願いたいが、人様から購読料金をもらっていながら広告を見せるとは何事かという常識を手に取り戻してもらいたいものだ。もし購読料金では足りない、広告料金も合わせなければ事業を継続できないなら、いったい購読料金が幾らになればいいのか、包み隠さずに自らの事情も公表するのが「報道」機関の矜持というものであろう。できないなら、しょせん出版・報道は情報ブローカーだ、賤業だという誹りは(そもそも「マスゴミ」なんて言われるまえから続いていたように)これからも続くであろう。

ぶっちゃけで言えばドイツで何人が車に轢かれようと、あるいは北九州で中学生が殺されようと、そんなこと知らなくても僕らは生きていけるし、それどころか情報なんてこれほどなくても「善く生きていく」ことすらできるのだ。手持ちの情報量や情報の種類が増えることと、人間性なり人格の善悪とか何も比例しないことくらい、僕らは最初から知っているのに、どういうわけか情報がないと正しくものを考えたり正しくものごとを判断できないかのような錯覚に陥る。これも出版・報道業界が広告業界と作り出した偽の価値観である(情報が多ければ多いほど公平にものを見て考えられるという、実は認知科学的に何の証拠もないプロパガンダ)。実際には、情報の欠落が生活や人間関係にとってリスクになる限度なんて多いわけではないし、自分の生活と関係のない余計な情報を求めすぎて自分の周囲の人々について知ることを蔑ろにするからこそ、寧ろ生活や人間関係のリスクが高まるのではないかと思う。

しばしば僕らのような哲学者は隠遁者に喩えられることもあるが、それはすなわち森羅万象について知ろうとするあまりに周りの人間に興味がなくなる状況を表しているのだろう。だが、正真正銘の本物の哲学者として言わせてもらうが、そんなものは単なる漫画だ。そういう意味での、哲学で語られるテーマや問いにしか興味がない人間などというのは、実のところ典型的な無能である。哲学は「哲学すること」において真価をはっきするし、するべきなので、自衛隊員が戦場で哲学することもあろうし、AV 女優が撮影現場で哲学することがあってもいいし、もちろん IT エンジニアがトイレで唸りながら哲学することがあってもいい。考えているテーマや話している内容が「哲学」と呼ばれる類のものだからといって、それに関わるだけで哲学していることになるなどという自意識を持つのは、哲学科の学生にも注意しておきたいことだが、それは自己催眠や自己欺瞞である。

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