Scribble at 2023-10-08 19:19:32 Last modified: 2023-10-10 10:30:55

日本で教科書の勉強だけで英語の話をしてる人はもちろん、中途半端に留学してきたとか、あるいはアメリカで生まれて何年か育ったというだけで英語の話をしてる人の中にも、相当な割合でデタラメなことを言う人がいる。少しでも調べたら分かることなのに、そういう人たちの言うことだけを真に受けて、自分では調べなくなるというのは、僕が思うに「悪い権威主義」である。もちろん、英語について実際に生活するために使っている人の知識とか実感とか経験の方が日本で「座学」しただけの英語教師よりも遥かに優先してよい権威だとは思うが、だからといって根拠もなしに無条件で認めて良いほどの権威ではない。

簡単な事例として挙げておくと、僕らが中学生の頃も「英語には敬語がない」とか「英語には方言がない」といったデタラメなことを言う人がたくさんいた。いまでは、高額な大型の辞書や大学の英文学科で使うような高度な文法書などを買わなくても、ネットで少し調べれば、そんな発言が嘘っぱちであることは簡単に分かる。みなさんもご存知の「じゃがいも」は "potato" というスペリングの単語として、中学の授業でも奇妙な発音をするものだなと印象の残る単語の一つだろう。そして、この単語にも "tater" という南部の方言がある。

また、英語にも語句の選択とか発音の仕方でジェンダーの区別があるとも言われているし、年齢や地位や職業あるいは白人と黒人など人種の違いとか、それから先祖がドイツ系なのかアイスランド系なのか、出身が西部か南部かといった違いによってもスラングの使い方や発音に違いがある。ただし日本語ほど敬語と砕けた表現に大きな違いやバリエーションがないというだけであって、つまりはそういう微妙なニュアンスをまだぜんぜん理解できていないような未熟な段階で日本に帰ってきた人たちが「若者と年配者が同等の言葉を使って話す、これが個人主義だ」などと嘘っぱちを解説しているのである。

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