Scribble at 2022-06-01 09:59:38 Last modified: 2022-06-01 10:03:23

「耄碌」と一言で片づけられないのだが、ここ数年のあいだに物を落としたり部屋の家具に手や足をぶつけるという不甲斐ない挙動が増えた。視力そのものは健康診断でも 1.0 くらいは保っているので、見えていないわけではないのだが、老眼鏡で眺める距離感と裸眼で眺める距離感とのギャップがあって、老眼鏡を外しているときの方が距離感を間違えてしまうという皮肉な状況に陥っているらしい。

もちろん、必要ないときに老眼鏡なんてかけるものではない(生まれつきの近眼とかで常に眼鏡をかけている人とは事情が異なる)から、なるべく外すようにはしているのだが、「外すようにはしている」と書いたように、実はここ2年くらいのあいだは自宅で過ごす時間が増えているせいもあって、老眼鏡をかけている方が多くなってしまっていた。それゆえ、逆に老眼鏡を外して物を見ている距離感の方が〈普通じゃない状況〉となってしまっているらしい。これはいけない。

いまのところ、老化現象としての老視は自分自身の感覚では進行が止まっているように思える(老視つまり老眼の度合いは、或る程度まで進むと止まる)。したがって、いまの見え方で文字などが読み辛い場合にだけ老眼鏡をかけるようにすればいいはずなのだから、老視の進行が止まっている状況では見え難かったり読み辛くなる条件を特定できる。僕の生活では、コンピュータのモニターに映るオブジェクトやページの文字は殆ど老眼鏡がなくても済むし、そうなるように文字の大きさやメニューの大きさを調整している(ユーザビリティが必要とされるゆえんだ)。したがって、困るのはそういう調整ができない印刷物の文字に限られる。なので、特定しやすいのは確かだ。

しかし、これに加えてもう一つだけ考慮しなくてはいけないのが、老視だけでなく乱視も起きていることだ。距離は合っているのに、文字がぶれて見えてしまう。実は、こちらの方が物を見ていて困惑させられることが多いのだが、乱れ方が弱いせいで文字が "V" が "W" のように見えるほど上下左右に像がずれているわけではないので、微妙なところで何とかやっている。

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