Scribble at 2021-12-13 15:34:14 Last modified: 2021-12-14 15:43:04

図書館でナノセルロースの本を借りてきたのは、いま愛用している「Signo 307」という uniball のボールペンを紹介する記事を書こうと思っていたからだ。このボールペンは、木を材料とした特殊なインクを使っていて、このナノセルロースという技術が応用されていることから、2016年5月26日と27日に開催された伊勢志摩サミットの協賛商品として来訪者へ配られたという。それもあって uniball の肝入りで発売されたのだが、どうも競合の SARASA や EnerGel などと比べて劣勢の感があり、ここ最近では文具屋の店頭から姿を消してしまっているのが残念だ。

気に入っている商品であることから、Signo 307 を紹介しようと思って参考になる資料を物色しているのだが、こういう商品一つに拘っているのも、なんだか虚しい気分がしなくもない。たかだか100年も経過していない寂れた街で備品の保全にいそしむ、田舎の無垢なアメリカ人と似たような自意識に陥っている可能性がなくもないからだ。

ただ、誰も丁寧に調べて商品を紹介しようとしないのも、傍から見ていて気に入らない。以前にここで紹介した小物入れにしても、いまでは使っていない商品ではあるけれど、やはり一時期は使い勝手が気に入っていたのだ。特定の会社の特定の商品についてどうこうという話がしたいわけではなく、〈こういう商品〉をこれこれの事情や理由で好む消費者がいるのだという事実を記録したり宣言しておくだけでも、何かの役に立つと思いたい。それが、消費者という矮小な産業部品の矜持というわけである。確かに、これはこれで日本の社会学の著作に多い、センチメンタルで草の根左翼的な敗北主義(別のニュアンスでは虚栄右翼的なハラキリ思想)の態度とも言えるので避けたいところだが、そういうイデオロギーはどうでもよろしい。哲学者にとっては些末な自意識でしかない。

この文章を上から下まで読むだけでも、僕自身の心象として色々とブレがあるのはお分かりいただけると思うが、とりあえず今は商品に関連する情報を集めておこうと思っている状況である。それを記事として公表するかどうかは定かでないが、使い捨てて忘れるのもどうかと思うし、かといって産業商品一つにセンチメンタルな感情を抱くのも(哲学者として)どうなんだろうと思わなくもない。しかし、そういう態度が逆に「孤高」とか「超然」という、実はクズみたいに世俗的な「哲学者」の自己イメージによる錯覚だという可能性もあるわけで、何とも落ち着かない。

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