Scribble at 2021-03-15 15:57:13 Last modified: unmodified

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先日、大阪市立図書館(島之内図書館)で『大阪春秋』の第81号を借りてきた。特集は「生駒(西麓)・信貴山・東大阪」となっているが、僕は生駒山の西麓について幾つか掲載されている文章に目が止まった。

関西でもさほど知られていないと思うが、大阪府は東側に生駒山や信貴山という南北に連なる山地があって、奈良県と接している。最も高い生駒山でも標高は 642 m という次第で、さほど高い山でもない。とは言っても大阪のとりわけ中心街は、せいぜい 30 m ていどの上町台地があるくらいで起伏のない地形となっているから(逆に関西の人は、あれだけ坂の名前を使ったアイドル・グループがあるのに、東京が起伏のある土地だという実感を持っていない)、600 m の山地でも東側を塞ぐ屏風のような景観をしている。

そして、調べてみると生駒山地には数多くの興味深い事跡や話題がある。既に紹介したことだが、生駒トンネルを開通させる工事で数多くの朝鮮人が亡くなったことや、いわゆる「朝鮮寺」と呼ばれる民間信仰の寺が点在する土地として、朝鮮文化なり朝鮮からやってきた(連れてこられた)人々とのゆかりがある。もちろん、古墳時代も馬を飼う集団として渡来系の人々が住んでいたことも知られている。(当然だが、古墳時代の人々は近代以降に日本へやってきたり連行された人々とは関係がない。)また、生駒山の西麓には河内木綿という江戸以降に織られていた木綿布の文化や産業があったり、針金を製造する事業者が集まっていた時期もあった。大昔から現代まで、色々と興味深い話題が多い地域だと思う。

僕も麓の近くで東花園に住んでいたこともあって、なにほどかの土地勘はある。小学生の頃は夏休みのあいだだけ、額田という駅の近くにあった「有朋学舎」とかいう名前の厳しい塾に通って、毎日のように叱られながら勉強した思い出がある。石切神社には連れ合いとも足を運んだし、もちろん学部時代は大阪経済法科大学という、まさに生駒山地の中にある大学へ通った。

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