Scribble at 2021-06-27 10:52:20 Last modified: 2021-06-28 16:38:36

光文社新書のタイトルを手にしなくなって、もう何年になるのだろうか。当サイトの「他ならぬ凡人である僕の読書方針について」というページでも書いているように、僕はアマゾンなどで目に止まった近刊の予告情報で新書や文庫のタイトルから読みたい本のリストへ入れておくと、暫く寝かせておいた後に、何ヶ月か経過しても読みたい(あるいは読むべき)と思ったタイトルだけを購入したり図書館で借りている。もちろん、書店で見かけて即座に買って読む場合もあるが、それは1年に1冊の割合もない例外だ。

岩波新書や中公新書に比べて、光文社新書は今世紀に入って創刊された新しい新書のレーベルである。それでも、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』とか『若者はなぜ3年で辞めるのか?』といったビジネスや社会風俗にかかわるタイトルを中心に、かろうじて NHK 生活新書や PHP 新書のレベルまでは落ちていかないくらいの俗っぽいテーマを扱った本を出している。陳幼堅(Alan Chan)による装丁は、なんとなくモノトーンが集英社新書の装丁と似ているが、光文社新書の方が俗っぽい印象を醸し出していて、なかなかレーベルの方針をよく表す良いデザインだと思う(そういう意味では、集英社新書の装丁も微妙ではあるが悪くない)。

いまのところ最後に買った光文社新書のタイトルは、『自炊力』と言って、著者らの対談を含んでいる一冊だ。これが2018年の発行だから、もう3年くらい光文社新書のタイトルは手にしていない。正直、ビジネスとか社会全般の話題としてはもちろん、いわゆる〈生活者〉としても読む必要を感じない、はっきり言って民放のワイドショーが取り上げるような下らないテーマが増えたように思う。特に、社会福祉や風俗関連のテーマは光文社新書だけに限った話ではないが、どうしようもないセンチメンタリズムの〈小説〉みたいな文章が垂れ流されてきたという印象がある。テーマそのものには関心があるけれど、日本人のライターや社会学者が書く、AV嬢や日雇い労働者へのインタビューとか取材をもとにした本は読む気がしない。社会科学の理論としても、社会人としても程度が低すぎる。物を書く前に、人としての経験を積むべきである。

ただ、あらためて調べ直してみると、倉田剛という人物が『日常世界を哲学する 存在論からのアプローチ』というタイトルを出しているから、見逃している興味深いタイトルもあろう。この倉田氏は、確か metaphysics の入門書シリーズを出していたはずなので、それの通俗版というわけなのだろう。正直、何の業績があって現代形而上学の権威みたいなポジションとして遇されているのか(日本科学哲学会の正会員である僕ですら)よくわからないのだが、チャンスを提供する余裕が日本の出版業界にあるというなら、それはそれで良いことだ。

予断だが、学術コミュニティと関わりのないアマチュアのハンディキャップとして、こういう人物がいるということがぜんぜん分からないという事実がある。著名な論文を書いたという実績が殆どないように思える人物でも(実際、The Journal of Philosophy どころか『科学哲学』に彼の論説が掲載されていた記憶すらない)、特定のテーマについて「色々と詳しい」という評判が学術コミュニティの人間関係だけで共有されていたりするので、出版社が企画したテーマに相応しい人物として該当する場合がある。もちろん、結果としてそれが良い実績となる場合もあるのだが、残念なことにレフェリー制度のジャーナルに掲載される論説ですらインパクトのあるものが少ないのに加えて、内輪の評判だけで本を書いても大抵は商業的にも学術的にもインパクトがない。イリイチの祖述などで大部の本を出し続けている人物などは、その典型だろう。恐らく日本の哲学教員で彼の本を手にとった人は殆どいないのではあるまいか。つまり学生時代にうっかり手を出すことすらないほど〈何か〉を醸し出してしまっているのだ。それは、商業出版のプロダクトとして、装丁とかセールス文句とかがおかしいというだけではないのだろう。このような意味で「鼻が利く」かどうかも、学術研究の実務としてはそれなりに重要だったりする。もちろん、これは単純な保守的スタンスとか権威主義というわけでもない。

なんにせよ、光文社新書のタイトルは、例外はあるけれど、僕が「保留リスト」に入れるための候補を選ぶ〈まともな新書レーベル一覧〉から脱落しかけていると言ってよい。もちろん新書というレーベルそのものが通俗的な商業出版の一つではあるけれど、そこから更に「低俗」とすら言えるようなレベルにまで落ち込んでしまうかどうかは、もともと微妙な路線でタイトルを出してきた光文社新書には最初からついて回ってきた懸念だったと言うべきだ。しょせん出版事業なんて、新書を担当する部署の責任者や経営陣の一声で幾らでも変わるのである。

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