Scribble at 2026-01-21 07:28:25 Last modified: 2026-01-21 10:16:01
ひろゆきが人気だ。SNSでもテレビでも彼を見ない日はないが、そのフォロワーを見てみると弱者が多い印象を受ける。なぜひろゆきの言葉は、生きづらさを抱えた人に響くのか。論破王が令和に受け入れられた背景に迫る。※本稿は、文芸評論家の三宅香帆『考察する若者たち』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
まぁ、何の業績もなく公にものを書いてる連中なんて、僕らと五十歩百歩の人間でしかないわけで、こういうブログ記事として読むのがせいぜいだろう。買ってまで読むようなものではないのだけれど、ただでも読む必要なんてないゴミ、それこそ生成 AI が吐き出したテキストよりも遥かに劣ったゴミクズみたいな文章を書くやつが都内には蛆虫みたいにいるんだよね。僕自身が1980年代に神保町で雑誌の編集者だったから、実感としてもあるのだけど、「書かせてくれ」と言ってくる自称ライターなんて、当時の僕は CD の音楽雑誌でクラシックを担当していたのだが、高卒でアルバイトしていた僕よりもクラシックを知らない音大卒のやつとか、それどころか殆どクラシックを聞いたり調べたり学んだことすらなくて、視聴盤を聴きながら適当に書きますよとか言ってくるゴロツキみたいなのが大半だった。こういうのは時代が変わっても同じだろうと思う。いや、業界が変わって、いまではウェブ制作やネット・サービスの会社で部長をやっているのだけれど、弊社にせっせと営業メールを送ってくる自称コーダーとか自称デザイナーなんてのも、その 99.999% は制作会社で仕事をしていた経験もなければ、ウェブ・コンテンツの制作について殆ど知識も経験もないと思われるクラウド・ワーカーや個人事業主、つまり会社勤めしたくないとか自宅で働きたいというだけでウェブの仕事をしてるような、つまりは自意識だけで仕事しているような連中である。そんなのに仕事を任せたら、たちどころに「電通の仕事をしました」とか SNS で言いふらすんだろうなとしか思えないような手合ばかりである。
ということで、この手のライターが書いてる文章を、われわれがいちいち取り上げること自体が不要なのだろうけど、やはり多くの人々は彼らと同じ程度に未熟で凡庸なのだから、簡単に感心したり同調してしまうので、老婆心ながらこうして批評させてもらうわけである。
まず、リード文からいこう。「なぜひろゆきの言葉は、生きづらさを抱えた人に響くのか」と書いてあるが、これがそもそもアンカリングという認知バイアスを引き起こすトリックだ。なぜなら、ひろゆきの発言には社会的な弱者であるからこそ批判的であるという人もいて、彼だけでなくホリエモンも含めたリバタリアンの姿勢に反感を覚える人がいるからだ。「生きづらさを抱えた人に響く」などと何の根拠もなく断定しているが、そんなことはない。もちろん、その割合を正確に調べたり推定することはできないわけだが、「生きづらさを抱えた人に響く」などと必然的あるいは因果関係があるかのような印象を与えるのは、本人(あるいはリード分を書いた『ダイアモンド・オンライン』編集部の人間)が自覚していないならなおさら、悪質である。
それからひろゆきは「論破王」と呼ばれるようになっているが、実は話として言えば簡単だ。要するに「身も蓋もないこと」を言えばいいだけなのである。相手の事情とか、複雑な依存関係を全て無視して、言葉の上から言えることだけに絞って議論すれば、誰でもあのていどのディベートはできるし、実際にアメリカの法科大学院ではああしたディベートを叩き込まれるわけである。日本でも、1980年代に栗本慎一郎などが関東のテレビ番組でディベートを流行らせようとしたことがあったようだが、日本では言霊信仰というのがあるからか、発言内容と人格とを切り離して考えられないという人が多くいて、語っている内容について確信があるかどうかも不明なことをまくしたてるひろゆきやホリエモンのような人々の発言に反感を覚える人がいることでも分かるように、日本でディベートというテクニックは受け入れられなかった。そういう意味では、言語を道具としてではなく生き方として眺めるような考え方が強いのであろう。
これは、逆に言えば「空論」として斥けられやすいということでもある。いくら言葉の上で首尾一貫としている議論を展開しても、相手は首尾一貫としておらず、そしてそうする必要も感じていない凡人であるから、色々な利害関係の調整をする立場で単純な議論を示されても無効である。ひろゆきの議論が、その場では多くの人の溜飲を下げようと、なんだかんだ言っても殆ど役に立たない(誰にも影響を与えない)のは、それが決定的な理由である。
ともあれ、ここではひろゆきの議論をそのものを批評してもしょうがない。この愚かなライターの文章にこそ色々な問題がある。ともかく、ネットで起きている出来事だとか、それが表していると論評される説明を、右から左へと整理しているにすぎず、何の有効な知見もないのが、この手の三流ライターの文章だ。とにかく、もうこんな文章は生成 AI 以下なので、そろそろ大手のメディアも多くの記事は生成 AI で吐き出せばよいのではあるまいか。
社会心理学などの学識もなく、そしてネットを含めた過去の歴史について知識がないという理由でも愚かな人間というのは、たとえば「『報われポイント』があると、令和のヒットコンテンツは生まれやすい」なんていうことを、マシなマーケティングの知見であるかのように言い立てて、自分が新発見したかのような自意識プレイをやるのだけど、全くの猿芝居というものだ。なぜなら、「『報われポイント』があると、令和のヒットコンテンツは生まれやすい」だとか、SNS での素早いリアクションがモチベーションを高めるといった話は、割引曲線の学説を知っている人には何の値打ちもない茶飲み話だろうし、人としての経験だけで言っても、若者、それから分別に欠けた大人が目先の成果だけに固執して短絡的なふるまいをするのは、そもそも2,000年前からでも古典的な本で多くの人達が嘆いている話だ。