Scribble at 2026-01-21 06:50:03 Last modified: unmodified
こういう広告を平気で掲載しているという点からして、この Adobe という企業がいかにクリエイターやデザイナーや写真家という人々を理解していない、ツールのコーディング企業にすぎないかっていうのが、よく分かると思うんだよね。もちろん、これは Adobe 製品の従来の顧客であったクリエイターではなく、これから Adobe 製品のユーザとして取り込もうとしている初心者や、自分には「絵心」なりスキルがないと思っている人々に向けたメッセージなのだというであろう。自分だって「クリエイター」と呼ばれたいという脳内補完計画を抱きながら薄い本でオナニーしてる豚オタクとか、その手の連中に期待をもたせて Adobe 製品を買わせようというマーケティングの「戦略」であり、われわれ Adobe のエンジニアに責任はないというわけだ。
でも、これは企業の部長として言うけど、一部の人間(それが社長であろうと)がやったことの責任は、組織である以上は連帯責任なのが大人の態度というものである。自分だけは違うなどと、戦後に中国人の前で被害者ヅラして見せる広島の人がいたとしても、彼らだって戦争を煽り立てた経験があろうという意味では、何の過失もない可哀想な人々であるとは思えない。僕が、『夕凪の街 桜の国』などを始めとする、いわゆる「原爆文学」に保守の人間としてすら違和感をもつのは、それが理由だ。もちろん、朝日新聞を読んで戦争を支持した「ていどのこと」で原爆の被害を負わなくてはいけないのかと言えば、それはあまりにも酷であることは確かだ。そういう意味で、原爆を投下したアメリカにも重大な無差別殺戮の罪を問うてよい。だが、アメリカ人の十八番はダブル・スタンダードだ。僕はアメリカ人なんて「人種のるつぼ」とか言ってても、哲学者として言わせてもらえば民族的・歴史的・政治的な分裂症の国家であるとしか思っていない。いつも言うことだが、欠けているものや欲しいものをこそ人は大声て言い立てる。アメリカ人が、やたらと "the United States of America" というフレーズを恍惚とすら言える感情で口にするのは、本当のところあの国は "united" だったことなど一度もないからなのだ。
それから誤解されると困るのではっきり書いておくが、僕が当サイトで画像生成 AI を使った写実的な画像を公開しているのは、写真が不要になるとか、ましてや写真家が必要ないなどと愚かなメッセージを発するためではない。AI がソースなしにはまったく何もできない(もちろん人もそうなのだが)からには、これまでの経緯から言っても、それから今後の経過から見ても、人の成果が欠かせないのは何ら変わらない。不要なのは、昔も、そしてこれからも、無能な連中が気軽に後悔する「やってみた」式のゴミクズである。パソコン通信やインターネットは、本来は真摯で誠実な人々の貢献による情報提供や質疑応答の場として活用されてきたわけだが、そこにある共通の価値観は、「知らない者(未熟な者)は応答するな」ということである。本来のインターネットでは、「これは素人意見ですが」といった、安っぽい民主主義は通用しなかったのであって、これは僕自身のスタンスへの我田引水になるかもしれないが、健全な権威主義が支配していたのだ。これを、マス・メディアの道具として新しく整備したり、広大な商圏として整備する人々が、インチキな民主主義を持ち込んで零落させたのが現在のネットであるという言い方もできる。そして、Adobe の上のようなメッセージは、まさしくそういう安っぽい民主主義の典型であろう。