Scribble at 2024-02-16 12:51:26 Last modified: 2024-02-20 11:32:36

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(*) ダリに画像を描かせてみたが、まったく酷い。

いっときは YouTube での啓発動画などで話題になっていたユージニア・チェンは、日本でも圏論の通俗本が翻訳されているけれど、それ以降は全く翻訳が出ていない。気の毒にアマゾンでは翻訳書にレビューも書かずに星1個という酷い評価だけがついており、またプロパーを始めとする理数系の物書きやブログ運営者も、さほど関心がないようだ。そしてもちろん、哲学に圏論を導入するとか息巻いてる連中が大学で副読本に指定なんてしないわけで、遅かれ早かれ翻訳書は絶版となるのだろう。

こういう事例を見てもよく分かるし、それから Hacker News などのソーシャル・ブックマーク・サイトでも数学書が話題になるたびに同じ光景を見かけるのだが、もう数学者が啓蒙書とか通俗本を書くのは止めたらどうかと思う。いや、書く自由はあろうから禁止なんてできないが、はっきり言って望むような社会的効用なんてないと正確に理解するべきである。家の中で計算や証明に思いを巡らせるだけでなく、いちど実際に調べてみるとよい。

そもそも数学の通俗本って一般人は殆ど買わないし、ましてや数学が苦手な人は買わないものだ。したがって、チェンの「数学嫌いをなくしたい」という個人的な動機は分からなくもないが、やはり社会科学の観点から言えば「数学嫌い」の実態は数学ではなく「数学教師嫌い」であり、未熟な数学教育や数学の宿題に対する反感であったりするのだ。そして、数学の方を通俗化しても、そういう問題を解消するような社会的な効果はないということくらい簡単に分かるであろう。そういう本をいくら出しても、数学教師や数学教育、あるいは数学教育にかかわる教育行政を変えることはできないからだ。

ソーシャル・ブックマーク・サイトなどで、たとえば『ゲーデル・エッシャー・バッハ』のような著作物が話題になったときでも頻繁に見かけるとおり、そういう本を高く評価して良く書けてるだの愛読書だのと言ってるのは、たいてい情報科学や数学科出身の人々であって、つまりはそういう通俗化の言い回しがあるのか。旨いこと言うなぁと、専門的な脈絡や意味が分かってる立場から感心しているにすぎないのである。したがって、どれほどそういう人々がアマゾンで星をたくさんつけたり、あるいは数多くのカスタマー・レビューで絶賛していようと、そんなものは社会科学的にはゼロ加算でしかないのだ。これは、たとえばスマリアンのような人物が書く論理学の教科書などにも言える。彼が書くものを評価しているのは、それが通俗本であろうと専門的な本であろうと、論理学のプロパーだけである。

そういうわけで、チェンの本がどれくらい売れたのかは分からないが、たぶん日本でも数学オタクや、あるいは圏論を学んでナウいシステム開発がしたいなどと妄想にとらわれている都内のインチキなベンチャーの新卒エンジニアとかが、いっとき雨後の竹の子よろしく出版された圏論のテキストと一緒に買ったのかもしれない。でも、その結果はご承知のとおり美しいとすら表現できる「無」だ。誰か、圏論を使ったシステム設計の実例とか、いや実例でなくても理論ですらかまわないが、何か一つでもブログなどに書いているだろうか。あるいは都内の無能な IT ゼネコンのガキが集まるライトニング・トークなどで、具体的な成果を発表した人がいるか。まぁ、ハイデガーも驚くような、まごうかたなき nothingness であろう。学術研究者やわれわれビジネスマンは、成果を出さなければ、屁こいて鼻くそをほじってると言われても仕方ない。業績(多くのプロパーから支持され当該分野の知識を 1mm でも進展させるものだけを「業績」と呼んでいて、単に何か書いたとか発表したというだけの「成果」とは区別している。もちろん、僕は権威主義者だからだ)とまでは言えなくとも、せめて成果の一部くらいは世に問うて良いだろう。

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