Scribble at 2020-11-28 23:49:26 Last modified: 2020-11-29 13:15:48

図書館のサイトで文化人類学のテキストを検索すると、そもそも『文化人類学』と銘打ったテキストが10年ほど出版されていないことがわかる。そら、なんとかダイバーみたいな下らない本を文化人類学の内側の常識(簡単に相対化したり馬鹿にするほどプロパーとしてのコンセンサスは軽視できるものではない)から簡単に掃いて捨てる力が醸成されなくなるのも分かる。結局、プロパーの多くは、あの手の文化人類学者というよりも文化芸人を怒らせると岩波書店や講談社などから本を出せなくなるとでも思っているのだろうか。文化芸人や出版社ともども、そのていどの思い込みにとらわれ、ウェブで自由に意見を述べることすらやらないで委縮するような人々が学者、しかも文化人類学の研究者を名乗るなら、片腹痛いとはこのことだ。

そういうわけで、ここ最近の基本書と言えるようなものがない以上は過去の成果に頼らざるをえないということで、実家で見つけた『文化人類学の考え方』(米山俊直、講談社現代新書、1968)を気楽に眺めている段階なのだが、文化とは何なのかという疑問に「文化とはなにか」という一節(しかもかなり後ろの方で初めて語られる)が殆ど答えていないという状況を残念に思っているところだ。文化には普遍的なものと個別的なものの区別があるとか(その区別は、そもそも文化という概念が成立するからこそ学術用語として通用する説得力があるのだ)、文化にはどういうものがあるとか(これも、「文化」という言葉の使い方を通俗的な理解のウィトゲンシュタイン風に、つまり言語ゲームのルールを教えるといった体裁で展開されても、一向に要領を得ない)、そういう議論を期待しているわけではないのだが、もうしばらく読んでみよう。[追記: この節の最後になって、初めて文化についての説明が出てきた。やれやれ。こういう勿体ぶった文体が持て囃されていた時期もあったのだろう。]

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