Scribble at 2020-04-23 13:32:19 Last modified: 2020-04-23 13:42:15

The Swedish laws on communicable diseases are mostly based on voluntary measures — on individual responsibility. It clearly states that the citizen has the responsibility not to spread a disease. This is the core we started from, because there is not much legal possibility to close down cities in Sweden using the present laws. Quarantine can be contemplated for people or small areas, such as a school or a hotel. But [legally] we cannot lock down a geographical area.

‘Closing borders is ridiculous’: the epidemiologist behind Sweden’s controversial coronavirus strategy

日本もスウェーデンと同じく、アメリカのように地域を封鎖(ロック・ダウン)するような権限が行政府にない。また、立法府で迅速にロック・ダウンを命じる法律を通せるかといっても、恐らく憲法(移動の自由や集会の自由)に抵触する恐れがあるため、そう簡単には通らないはずだ。したがって、スウェーデンのように、日本も事情を知らない国のメディアや国民から「甘い」と勝手な批評をさんざん加えられてきた。日本とは人口比で3倍弱、国土面積比で25倍ながら、死亡者数が日本の200倍になろうかというアメリカの人ですら、「どうして日本はロック・ダウンしないのか」などと言っていたくらいである。

もちろん、日本でも感染は確実に拡大しており、いまのところは無症状か軽症の人が多いからか、医療現場の多くは重大なリソース不足で疲弊しているものの、死体が病院の外で山積みにされているといった、アメリカのように野蛮な状況には至っていない。しかし、ワクチンがなければウイルスの撲滅はできないし、そもそもウイルスは進化していくため、いったん免疫を獲得した人でも再び罹患するリスクはある。したがって、「新型コロナはしょぼいインフルエンザだ」などという非科学的なタワゴトを言う連中は無視してもいいが、感染症としての対処に基本的な違いがないという意味では、毎年のようにインフルエンザのワクチンを注射するのと同じく、また新しいワクチンを混合して摂取していくことになるのかもしれない。

上記で語られているように、厳しい措置をとると、却って公衆衛生よりも公衆の精神衛生に悪い影響が蓄積するという懸念はあるのだが、敢えて厳しい措置をとってライフスタイルに大きな影響を与える方がいいという見方もできる。たとえば、印鑑とか書類だけで業務を遂行する風習とか、無意味な飲み会や無内容な会議など、今回の騒動でかなり改善された企業もあると思う。そして、無為の時間を過ごすことに耐えられないなどと称してロクでもないことに時間を費やしている人々の中にも、これまで不要不急の無駄なことしかやってこなかったという事実に、凡人なりに気づくという効用もあろう。(たとえば、大企業や外郭団体などの役職者には、午前中の数時間を購読している何誌もの新聞を通読することだけに費やしていたような連中が山ほどいる。)

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