Scribble at 2026-03-11 17:44:50 Last modified: 2026-03-11 18:09:52

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Background: Why I put my whole life into a single database

もちろん、この手の偏執的と言えるような自意識過剰の習慣を冷笑するのは簡単だし、実際にもこんなことに殆ど意味はないと思う。この手のデータが、仮に社会科学者などが分厚い本を書けるくらい集まったとして、それで社会科学的な効用なり影響があるのかと言われても、そんなことは全く分からない。しかし、このような不確実性に賭ける、というかコミットするべきだと主張するのが、社会学者であり民俗学者であり文化人類学者であり、そしておそらく文学者というものなのであろう。それを許容するかどうかは社会あるいは政治や経済の状況によるわけだが、少なくとも現在の日本では許容されると思う。

もっとも、僕は哲学者というよりも人類史スケールの保守思想家としては、これらを「社会科学的なセンチメンタリズム」以外のなにものでもないと感じるわけだが、どのみち誰も死んだ後のことまではわからないし責任もとれない。たとえ学問や学術調査を名乗る、実質的には牛乳瓶の蓋を集めるようなものであっても、余裕のある社会では問題にならない。まさしくこれも、僕が「ゼロ演算」と呼ぶものだ。そして、往々にして人は自分自身の行いについて無駄であったと思いたくないので、たやすく自己正当化のバイアスや自己欺瞞へ陥る。

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