Scribble at 2023-10-25 12:34:58 Last modified: 2023-10-25 12:42:20

国でも地方自治体でも企業でも大学でも、何かキャンペーンを始めるとなると、着ぐるみのマスコット・キャラクターだの、萌えキャラのイメージだの、あるいは PR 担当の吉本芸人だのと、あいもかわらずビジュアル要素ばかりをパブリシティのネタとして扱い、予算を振り分けている。もちろん、萌えキャラがいけないといった表面的な議論をしているわけではない。およそ「広告宣伝」と言えばビジュアルのことしか考えていない連中が大半を占めるのは、その大半がマーケティングだろうと広告についてだろうと、大して知識も才能もない凡人なのだから仕方のないことだ。つまり、広告を作っている方も凡人なのだから、ビジュアルに感化されやすい見る側と同じていどの見識でしかマーケティングに従事できないのは当たり前である。

世の中の成果の大多数は、凡人がやってるんだからそれほど難しいことでもないに決まってる。それでも、どうにか凡庸な成果の寄せ集めで何とかやっていくしかないのが、家族とか地域社会とか企業とか国家とか民族というものの実情であろう。そして、そういう、何とか切り盛りしていく他にない状況で受け継いでゆくものが、やがて「伝統」と呼ばれたりする。僕は保守を自称しているけれど、軽薄な口先だけの保守とは違って、伝統が素晴らしいとかそんなことは全く思っていない。伝統とは、結局のところ凡人でも継承できるような知恵やテクニックにすぎないからだ。伝統とはそういうものであるからこそ、世襲制の家など天才ばかり産まれるわけでもないのに、誰がやっても或るていどは継承できるのだ。

でも、だからといって蔑んでいるわけでもない。そういうものの蓄積こそ強力な習慣や風習や思想となるわけであって、良かれ悪しかれ哲学であろうと、そこに立ってものを考えざるをえないからだ。

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