Scribble at 2025-08-12 20:24:09 Last modified: 2025-08-14 08:34:25
だいたい、あと30年ほどすれば、同窓生の大半が死んでしまうのだろう。僕だって、その30年のあいだに死んでしまう可能性が高いわけで、他人事のように言っている場合でもないのは事実だ。そういう状況で考えるに、いま Facebook などで、やたらと「セカンド・ライフ」系のイベントとか、あるいはソーシャルな活動を促すようなメッセージが飛び交っていて、僕の Facebook アカウントにも何かやれと促すメッセージが届いていたりする。
しかし、そんなことは大きなお世話である。
Gemini によると、2020年の国勢調査で得たデータの結論として、出生した都道府県に現在も住んでいる人の割合は全国平均で約54%、つまり約半数の人々が生まれた都道府県内で暮らしているという。この割合は地域によって大きく異なり、三大都市圏(特に東京圏)では低く、地方では高い傾向にあるらしい。例えば、沖縄県や北海道、東北地方などではこの割合が高くなる。ということは、意外なことだが、東京や大阪で生まれ育った人に限って地方へ移っているということになる。なんにせよ、半分くらいの人たちは生まれたところから別の場所に移って暮らして、そして死んでいくわけである。もちろん、その多くのパターンは田舎から都会へ出てきたり、あるいは都会から田舎へ行くわけで、北海道の山奥で生まれた人が九州の離島で暮らすなんてパターンは殆どあるまい。しかし何にせよ、そういうことは他人に促されたりあるいは他人との人間関係が強い理由や事情となることは、そう多くないように思う。結局、それぞれの人たちが、生まれ育った地域での人間関係や環境に左右されることなく、自分で生きる土地や生き方を見出しているわけであり、僕はそれを尊重したい。なので、当サイトでは上場企業で疲弊した無能が長野県でパン屋やクラウドのウェブ・デザイナーをやるような気軽さを非難したり嘲笑ったりしているものの、そういう移住が無意味で馬鹿げているとは思っていない。たぶん、子供の多くは再び都市圏へ出ていくだろうし、最初はエコだのスローライフだのと言っても高齢になれば田舎でなんか暮らしていけないとは思うが、福祉とはそういう人々も含めてサポートするものなのである。福祉というものは、誰かが愚かであるかどうかによって該当するしないを決めるものではない。
というわけで、高校時代からの付き合いがある友人からは、年賀状を受け取るたびに同窓会に出てこいと促されるのだが、僕はどうもそういう気になれない。もちろん、彼ら友人らと会うのはいいが、同窓というだけで殆ど何の付き合いもなければ利害関係もない人々は、結局のところ僕の人生全体での交流期間や親密度から言っても、「モブ」としか言えないわけである。大阪環状線の座席でベチャベチャと喋りながらどこかへ向かうインド人だとか、駅前第三ビルの地下通路をのらりくらりと歩いている老齢のサラリーマンなどと何の違いもない。ただ、もちろんだが同じ学校へ通って何年か一緒に過ごしたという記憶はある。同級生なり、あるいは色々な事情で知ってる上級生や下級生(の、特に女性) だとか、まぁそういう記憶はあるわけだ。でも、ラノベのハーレム話じゃあるまいし、全員がいまだに飛びついてくるわけでもなかろう。