Scribble at 2023-10-05 13:45:04 Last modified: 2023-10-05 13:53:01

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話を整理すると、日本と諸外国の教育投資の違いは、大学教育の無償化の有無に大きく左右されていると考えるべきであり、これが日本の成長の足を引っ張っている。

教育にお金をかけない「日本」で育つとどうなる? 現代人の貧しい“当たり前の感覚”(2/2)

嫌儲とまでは言わないまでも、僕がこういう記事を欺瞞的だなと感じるのは、こういう「公論」と言うべき事案なり話題を、金がなければ国民で共有すらできなくしているところにあるからだ。要するに遊び金があって、こういう記事をお金を出して読める、つまりは教育程度も経済力も高い人だけが読めるということなら、いまの国家官僚みたいに腕を組んで見せて「これは大変だ」と高みの見物をしているのと変わらない。本当に国を憂いて記事を書いているとは到底思えない、ChatGPT が吐き出しても大差ない記事ということになる。要するに、メディアでものを書く資格が本当にあるのかなと思うんだよね、こういうところでものを書いてるサラリーマンとか物書きの連中って。本当は、てめーの生きているあいだには酷いことにもなるまいから、どうでもいいと思ってるんだろ?

僕は自分が言いたいこととか憂いていて知ってほしいことがあるからこそ、自分でお金を払ってサーバを借りて、あたりまえだが何の代償も求めないでコンテンツを公開している。これは、なにも偉いとか凄いなんて話じゃなくて、他人に知ってもらいたいことや訴えたいことがあれば、昔から辻説法だろうと講釈だろうと自由に、そして自分の力で対価を求めずに誰もがやってきたことなのだ。それがいつしか、出版とか、報道とか、そういうただのビジネスに成り下がった(当社の取引先にはテレビ局や新聞社もあるため、あまり具体的にはどうこう言わないが、要するに志としては零落したんだよ、君らは)ときに、SEO 会社と同じく単なる数字の奴隷になってしまった。果ては、クズみたいな連中が SNS などでアクセスを集めてるていどで「先生」となり、思いつきだけのゲロみたいな料理ばかり作ってるような連中が料理研究家と称して紙くずみたいな本を「執筆」なさるようになったわけである。そういう状況においては、誰もが購読者数とか、アクセス数とか、パブリシティとか、ともかくそういう数字の KPI だけを追いかけるようになり、どういう本を出版しようと、どんな番組を放映しようと、取材相手のプライバシーがどうなるとか、誤報で相手の人生がどう変わろうと、あるいは報道やキャンペーンで日本がどうなろうと、あいつらは基本的に知ったことではないのだ。

簡単な話だが、KPI を追いかけるただの取材マシンや報道サラリーマンであれば、学卒のやることなんてたかが知れている。ChatGPT の吐き出すテキストの方が、情報収集という点でも「取材力」は優れているし、文章力だって勝っている可能性があろう(NHK の原稿書きなんて、「浮き彫り」という言葉を使わないと懲戒処分になる内規があるかのようなワンパターンであり、あれでは機械以下である)。これだけ日本で爆発的に生成 AI が普及し始めているのは、要するにライターなどと称するクラウド・ワーカーのインチキな連中はもちろん、プロの物書きや報道記者だって大半が学卒の無能だとみんな知ってるからだ。Google の方が優秀だからこそ、みんな新聞サイトになんかアクセスしなくなったし、ChatGPT や Bard の方が便利だからこそ、誰もライターには文章を書かせなくなるし、おおよそあと数年で機械翻訳の方が爆発的な生産性と正確さを達成すると見込まれているからこそ出版社だって翻訳家と称する(TOEIC のような英語ゲームが得意なだけの無教養な)連中には発注しなくなるのだ。

教育にお金をかけなくてもいいと多くの人が生活や仕事を舐めるようになった最大の原因は、おまえたちマスコミ・報道・出版業界にあるのだ。あと教育業界も、大半の教員が自分の教えている分野の修士号すらもってない素人だしな。

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