Scribble at 2023-06-04 21:44:18 Last modified: unmodified

ウェブの基本的なアイデアが応用されるべき状況とは、既に何度も語られていることだが、学術研究者のコミュニティであった。CERN での研究成果のやりとりがウェブの目的だったのだから、それは当然のことだった。それが民生化・通俗化・商業化を経て、いまこうして爆発的に世界中へ通信環境が普及し、われわれは個々の状況や目的や事情や動機に応じてウェブを利用したり、あるいはウェブにコミットしていたりする。でも、そこで叫ばれている「シェア」だの「ソーシャル」だのという広告代理店的な(マーケティングの)スローガンが当初の想定とかけ離れたものであることは否定しようがない。そして、問題はそれらのどちらが本当は良いのかが分からないということなのだ。

商業化と通俗化によって普及し、その莫大なリソースによって研究者も大きな利益を享受してきた。したがって、ウェブが CERN の中だけで論文や実験データをやりとりするだけで終わっていたら、ここまでの影響はなかったであろう。彼ら自身が自分たちの成果を公にしたりオンラインで議論の道具とすることで、初めて彼らは公的な資金だけではなく私的な資金やクラウド・ファンディングといった新しい資金を集めて研究を進めたりできる。それは通俗化であるからには、色々なリスクも抱え込むことになるわけだが、単純に良い悪いを語れない話題であることは誰でも同意する筈である。

したがって、オンライン・ビジネスだろうとウェブだろうとインターネットだろうと、これらを支える産業について、既にノスタルジックな読み物を書いても説得力はないし(いまの20代以下に40年前の音響カプラを使った通信の苦労なんて語ったところで、それは単なる技術的な制約の下で何ができるかの話でしかない)、かといって気楽なテクノロジー礼賛を描いたところで、そういう文章の大半が「ITジャーナリスト」や、単なる消費者としての「デジタル・ネイティブ」などと呼ばれている e-sports 小僧であるという事実を払拭するにはほど遠い。基礎の技術や理論にアクセスするところから市場に投入されるサービスへアクセスするまでの所要時間や必要な知識の量が、年を追うごとに短くなったり少なくなっている証拠など一つもない。やはり数学を理解していない人は、5年や10年後の成果物やサービスにアクセスするだけの「ユーザ」でしかないという非対称性は現在でも正しい。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook