Scribble at 2023-12-24 13:32:17 Last modified: 2023-12-24 14:41:44

年賀状のレイアウトも終わって、いざ印刷しようってときに、Photoshop CC 2024 の画面でプレビューを見ると、意味不明な断ち落としが 5mm くらい強制的に付いている。裁ち落としの設定で 0mm にしても消えず、印刷の範囲を拡大しても消えない。というか、プリンターのメニューが全て英語になっていて、これはいかにも怪しい状況だ。僕がいくら日頃から「IME は日本人の生産性を下げている元凶の一つだ」と言っていても、メインのコンピュータで日本語を使わないわけにもいかないので、もちろん必要悪だと思って使っている。よって、OS からも日本語は放逐していないので、ブラザーのプリンタのメニューが勝手に英語表記となるのは変である。ウイルス感染という可能性はゼロでないとしても、これはふつうプリンタか Photoshop を疑うのが妥当であり、そしてどちらがありそうかと言えば、もちろん圧倒的なシェアにあぐらをかいている無能集団の Adobe だろう。

とは言え、いくら相手が無能だったり、Node.js なんてスパイウェア(もちろん Node.js に罪はあまりないので、これはわざと言ってる。「あまり」と言うのは、Node.js の設計思想に同意しかねるものがあるからだ。reverse Ajax / Comet などが登場した際に悪用の可能性は分かっていたはずだ)を勝手に仕込む連中であろうと、ソフトウェアを使っている以上は依存せざるをえない。僕らは僕ら自身がどれほど有能で善良であろうと、バカや凡人、そして時には政治家なんていう生来のゴロツキどもに色々なことを委ねなくてはいけない。自分自身で石油を採掘したり発電所を経営したり電線を敷設したり CPU を製造できないのだし、僕らは生活や仕事の大半を他人に依存するしかないのだ。これは、わざわざ共同作業だの利他主義だの分業社会だのと、アホな社会学者みたいにいちいち名前なんてつけなくても、社会という概念の本質であろう。

だが、実際にこうしてバカのいい加減な仕事のせいで、僕らはたぶん死ぬまでソフトウェアやハードウェアの不具合とか未熟な品質のせいで悩まされることになる。死ぬ間際に、誰かにメッセージを伝えようとして、何かスマートフォンへ喋ろうとした瞬間に、OS のバグで再起動が始まるなんてこともあろう。再起動が終わるまで生きてりゃ儲けものだ。でも、実際には大半の人々は再起動が終わるのを待つことなく死んだりするのだ。それが現実であり、圧倒的な凡人の仕事に拠ってしか維持できない社会というものの真の姿である。確かに、こういう真実に圧倒されて、或る人々は絶望したり、或る人々はでたらめに凡人を殺し始めたり、また或る人々は他人をせっせと罵倒し始めたりする。でも、そんなこと自体が無意味なのだと気づかななくてはいけない。そして、自分自身もそういう「凡人」の一人であり、他の誰かにとってはいまいましいクズみたいな仕事しかしていない人間の一人なのだという自覚をもてば、たいていのバカや凡人がやってることなんて気にならない。そして、人の社会とはそういうものであり、そういう社会を適正に維持するためにあるのが、まともな社会科学や社会哲学だと思う。有能な人間とか天才を勝手に理想と描いて社会の必要条件であるかのように考えるような人々には、僕は保守の人間として全く賛同できない。宮台真司氏をはじめとする、発達障害や gifted が世界を支配するべきだなどと言っているエリート主義者というか実質的にはファシストは、われわれ保守にとっては左翼なんか眼中に入らないくらいの危険人物である。

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