Scribble at 2023-05-01 09:28:50 Last modified: 2023-05-01 09:38:33

正直、国内であれだけ銃で市民同士が殺し合ってる国がロシアや北朝鮮や中国に何を言っても説得力があるようには見えないんだよね。社会科学としても、彼らは別に先進的な学問なんてやってない。理論的にはアメリカの社会科学なんてものは、実はフランスとかに比べて非常に未熟だよ。自然科学や技術分野での研究者の人数や予算規模、それから出版という点でも、経済つまりは札束で積み上げた業績の「スケール感」だけで凄いことやってるように見せてるし、そういうのに圧倒されてしまう日本とかいう後進国のサルもいるわけだけど、実際のところ科学哲学としてもアメリカってどうなんだろうと思うね。このところ、日本の科学哲学でもようやくアメリカで行われてきた教育とかアウトリーチとかを相対的に眺めるような研究の成果が出てきてるわけだけど、当のアメリカでやってるフェミニズムとか、人種差別とか、あるいは冷戦とかいうコンテクストに先導されている印象があって、海外からアメリカの文化なり教育なり学問を眺める、それこそ「客観的」な視点とかアプローチが足りないと思う。もちろん、これはアメリカに留学して何かの差別やトラブルに遭って帰国した連中がイージーな保守反動とかになる話とは別のことだ(もちろん無関係だとも限らない)。

そして、僕らのような科学哲学に取り組む者というのは、その動機とか事情とか、あるいは自意識でもいいんだけど、「科学」について取り組んでいるからこそ、或る種の距離感を「科学」(それはつまり科学や技術の成果も含まれる)について適正に保たないといけないわけで、そのあたりの感受性というかリスク感覚のようなものを、現象学を始めとして(僕は殆ど未熟な同族嫌悪だと思ってるが)「分析系」と言っては毛嫌いしてる人々は正確に理解してないし、科学哲学(分析哲学のプロパーはどうでもええわ)のプロパーは学生時代であろうと周囲に説明してないし、それどころか自分たち自身が気づいてすらいない場合も多い。哲学やってる科学オタクみたいなもんだと思ってる学生は、とりわけアメリカでやってることに単純に憧れて留学しちゃうような人だとなおさら、実際のところ僕らから見てるとかなり危ないんだよね。

しかし、愚かなことに「科学論」なんていう雑な言葉を使いたがる日本のマスコミというのは、寧ろ僕が言っているようなアプローチやスタンス、つまり科学に対して距離を保つようなことを、いともたやすく一種の左翼運動みたいなものと混同するんだよね。新聞記者とかテレビの制作スタッフなんて無知無教養だから。東大を出ていようと、その手の受験秀才というのは、既存のイデオロギーとか倫理社会のキーワードに当てはめてしかものを理解したり考えられない。なので、アメリカの科学哲学を相対化するなんて言うと、すぐにアメリカ人に差別されて逆切れで反米保守になった人(そういう凡庸な物書きのなんと多いことか)みたいに思われてしまうんだよ。ばかばかしい。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook