Scribble at 2022-12-16 11:36:22 Last modified: 2022-12-16 11:38:25
競合となる SNS に接続するようなアカウントは邪魔だということなんだろうけど、それって「繋がりましょう! #ただしイケメンに限る」みたいな話ではないのか。まぁ、営利企業が掲げるスローガンなんて常に別の意図や目的があるってことくらいはメディア・リテラシーの常識ではあろうから、「ソーシャル」だの「インクルージョン」だの「ダイバーシティ」だの「ディーセント・ワーク」だのが与太話だと言われても驚くに値しないわけだけど、あまりにもあけすけな施策は否定されるものだ。哲学者として言えば、Twitter だろうと Mastodon だろうと、誰しもが現行のサービスを使って繋がるだのソーシャルだのと楽しんでいる時点で「微妙な馬鹿」や「慎重な馬鹿」であることに変わりはないのだけれど、たいていの人は「あそこまでの馬鹿と一緒にされたくはない」と思っているからである。
ただ、このような場合に、大衆におもねる(というか、それしか現実にパブリシティを得て発言していく方法がないという諦観ゆえか)のが大好きな文化芸人や物書きどもは、そういう凡人の傾向を「バランス感覚」などと言って賞賛する傾向にあるわけだが、僕に言わせれば、それは生物種が絶滅に向かってゆく惰性のようなものだとしか思えない。しばしば、露悪的に「哲学は外道である」などと言ったりする人がいるけれど、それはまさしくこのような意味合いの話であろう(言い換えるなら、「哲学とは常識批判である」などと言われたりするが、あまりインパクトはない。哲学者なんて非常識の典型だと最初から思われている節があるからだ)。