Scribble at 2023-08-05 12:17:29 Last modified: unmodified

老眼鏡を使い始めて5年くらいになるが、以前から使っている父親の様子を見ていても分かることだし、自分でも実感があるのだけれど、中年になってから初めて眼鏡をかける人というのは、子供の頃から近視で眼鏡を使っている人たちに比べて眼鏡の扱いが雑である。

一つの理由は、もちろん老眼鏡の大半は大型量販店やコンビニエンス・ストアですら売っているような「文房具」の一種(つまり虫眼鏡だ)であるかのような感覚で使われており、近眼の人々がレンズだけで数千円から数万円もかかるような感覚では使っていないからだろう。よほど特殊な度のレンズを使っているならともかく、どこにでもあるような 1.5 とか 2.0 くらいの度数なら、落としても近くの薬屋で2,000円くらいで買えるといった気楽さがある。

よって、近眼で数万円の眼鏡をかけている人なら殆どしないようなことを、老眼鏡が初めての眼鏡だという人はやってしまう。たとえば、眼鏡というのは机の上などに置いてあると、不意に使おうとして手を伸ばしても、実はかなり掴みにくい形状をしている。レンズを指で触るといけないということくらい、僕らでも知っているから、なおさら掴める箇所が限られてしまうので、得てして両脇に置いてあったりすると腕をひねって取り上げないといけないようなケースでは、ついレンズをつまみあげてしまう。もちろん、眼鏡をかけて仕事をしやすくする方がレンズの多少の汚れなんかよりも優先であり重要だからだ。その取れるか取れないかの 0.5 秒くらいで、「面倒臭い道具だな」というストレスが毎日のように溜まるかどうかが決まり、そしてそういうストレスが徐々に蓄積されると、老眼鏡をかけること自体が面倒臭くなって、見えていようといまいと分かる範囲で文字を手前勝手に読んだり、画像を眺めるようになってしまう。そして、たいていは偏見や思い込みだけで判断するようになるわけであろう。確かに老眼鏡を手に取ることが面倒だと感じることは多い。したがって、実はあまり文字がはっきりと見えていなくても、いま現にこうやってタイプしていたりする(皮肉にもブラインド・タッチができるせいで、こうやって文章は入力できてしまう)。

おまけに僕の場合は多少の乱視があるから、もともと文字や映像は正確に像を結んでいないという問題があるし、最近ではモニターの画面を眺めているのがまぶしくて辛いときもある。しかし、暗い画面は更に見辛くて、そもそも暗い画面で映し出されたトーンの低い色を見るのが好き嫌いの問題として不愉快だから、輝度はそのままにしてある。スマートフォンでも、だいたい 70% くらいの輝度で使っていたのを、これはバッテリーの消耗という点では下げた方がいいということで 50% にしたのだが、それでも暗い画面は大嫌いなので仕方がない。ということで、パソコンのモニターの輝度は変えておらず、たまにサングラスをかけてモニターを眺めるというバカみたいなことをしているわけだが、これも「老人」として環境を整備するまでの過渡期に起きる色々な問題の一つなのだろうと思う。

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