Scribble at 2008-01-14 00:54:24 Last modified: 2022-12-28 15:30:21

たとえば買い物へ外出などしたときのこと。家を出て駅の方へ向かって暫く歩くと、ローソンの手前に自動車の修理工場がある。3階建ての小さなビルは、一階が修理工場で上は事務所や住まいになっているのだろう。道すがらふと見上げると、窓には古びた鉄柵がかかっていて、何となく懐かしさを覚える。たとえば買い物へ外出などしたときのこと。家を出て東へ歩くと、角に鉄道模型を販売している小さな店舗がある。2階建てで、隣に小さな住居スペースらしき建物がある。店舗が開いている時間帯は短く、商売として成り立っているのかどうか不思議に思った。しかし『大阪人』という雑誌で通信販売をやっていると紹介されていたので、納得した。この建物を見かけると、なんとなく懐かしいような羨ましいような気分になる。本好きが古本屋を営みたくなる気分と似ているのだろうか。たとえば以前にも書いたことだが、タクシーで会社から帰宅するときのこと。土佐堀通りを東へ進むと、ときどき大川を挟んで対岸が見える。北浜あたりから南森町の方向を見ると、まず最初にここが大阪なのか東京なのか分からなくなるような錯覚を覚える。新宿から東京駅までタクシーに乗ったときの、市ヶ谷あたりで見えた景色とよく似ているように感じるからだ。大阪の場合も大川は豊臣時代に大阪城の外堀と繋がっていたらしいので、どちらも昔は役割がよく似た土地柄だったので、同じような印象を与えるのかもしれない。たとえば深夜に帰宅するときのこと。どこかのマンションを見上げていると、ときどき自分もマンションに住んでいたときのことを思い出す。いまでもマンション住まいには違いないが、ワンフロアに2戸しかなくて隣にも住人がいないので、あの集合住宅生活に独特の「何世帯もが押し込まれている」という重苦しさがない。小学生から高校生の時分にかけて十回ほど転居したが、マンション住まいだったときは子供なりに窮屈な印象を持っていた。もちろん、個々の世帯が部屋として独立しているのは当たり前だし、近所付き合いも自治会も無関係であれば、帰宅するとその空間に他人はいないわけだが、どうしても生活音というものは伝わってしまう。扉の外からは廊下を三輪車で爆走する幼児の騒ぎ声が侵入するし、隣人宅からは壁を通して子供を叱りつける声やテレビの音声が伝わる。あの、自宅へ帰っても公共の場所にいるような居心地の悪さを、ときどき思い出す。たとえば自宅のベランダから生駒山地を眺めたときのこと。中学生のときに住んでいた、東花園というところのマンション生活を思い出す。ちょうど考古学者を志していたときで、日曜日は生駒山地の中腹にある東大阪市立郷土博物館まで、資料やノートを自転車に積んで毎週のように通った。夏休みになると学芸員の部屋に入れてもらって資料を書き写したり、東大阪市内で発掘された土器の実測図を書いた。或るときは補修用の粘土を分けてもらって、今にして思うと埴輪や須恵器の補修に使うような赤茶けた粘土で、縄文土器のレプリカみたいなものを作っていた。そんなことを遠い昔のように回想する。また自宅のベランダから生駒山地を眺めたときのこと。中学3年生頃になると、土曜日は終礼後のクラブ活動をばっくれるのが常態だったので、すぐ帰宅しては自室でエアチェックをしていた。そんな頃の牧歌的な心持ちを思い出す。いったい誰の人生なのだろうか。とても自分の人生とは思えない。子供の頃と社会人になってからの生活を冷静に比べると、びっくりする人も多いだろう。最近の小学生は、弊社のデザイナーよりも遅い時刻に塾から帰宅することもあろうから、社会人になっても耐性ができるのかもしれないが。

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