Scribble at 2022-08-15 15:56:02 Last modified: 2022-08-16 13:06:48

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Caste in California: Tech giants confront ancient Indian hierarchy

YouTube で IT 関連の動画を観ると、いまや2本に1本くらいの割合でウンザリするようなインド訛りの英語を聞かされるとか、あるいは巨大 IT 企業のトップが次々とインド人になってるからといって、これが当てつけ(あるいは人種差別)という意図で書かれている記事だとは思わないけれど、それにしても不見識この上ないという印象がある。およそ、発展しようとしなかろうと集団や組織において〈役割〉というものが発生したときから、実質的な階級というものはあったと言いうる。ましてやアメリカなんてどう考えても制度的・文化的な点で最初から階級国家としか思えない。明示的に法律でそう書かれていないというだけの話であって、実質的に昔から「なんとか一族」という支配階層があるし、マスコミ的な「アメリカン・ドリーム」なんていうのは、その下のクラスで展開される小芝居にすぎないなんてことくらい、歴史を学べば誰でもわかる。白人と黒人の対立すら、支配階級からすれば下のクラスの出来事だと言ってもいいだろう。東はロシア、そして西はスペインと、ヨーロッパ諸国でも同じことが言える。そして東アジアの僻地にある奇妙な島国でも、わざわざ「上級国民」なんて言葉を使うまでもなく、皇族・政治家・官僚・学者などの家系を見たら堅固な階層があることがわかるだろう。

でも、そんなものが決定的な支配力をもつのかというと、ついこの前の元首相が暗殺された事件でもわかるように、圧倒的な力なんて誰にもない。アラブのクズみたいな王子どもや、ロシアのキチガイ大統領や、近隣国家の「ロケット坊や」だって、やろうと思えば暗殺できると思う。やらないのは、理由があるからにすぎない。そして、そもそも国家元首というのは「平和国家」を自称しようと自分が平和好きだろうと、暗殺される(リスクにさらされる)前提でなるものなのだ。

もちろん、そういうクラスに比べたら、Apple や Google のエンジニアや Microsoft の CEO がどれほど偉かろうと、しょせん周辺の些末なベンチャーのエンジニアとか、あるいはモーテルの周辺でウロウロしてる薬の売人や売春婦よりも「偉い」というだけにすぎない。

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