Scribble at 2021-07-26 10:33:04 Last modified: 2021-07-26 12:27:47

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先日、日曜日に街中を歩いていたら、「南久宝寺通り」という大阪市内を東西に渡している道路の様子が変わっていたことに気づいた。この通りは、特に東横堀川と交差してから西側では歩道にアーケードがあったのだ。僕はいわゆるコロナ禍となって会社に出勤する機会が極端に減ってからは、もう1年以上も南久宝寺通りを歩いていなかったので、いつごろ撤去されたのかは知らない。この通りにある商社で構成された「大阪久宝寺町卸連盟」のサイト(https://www.qho.jp/)には全く告知がないので、正確なことは分からないが、Facebook では昨年の12月にアーケードの撤去が始まっているという投稿があった。

実際にアーケードがなくなった様子を眺めると、現に印象が変わるので「へぇ」という感慨はあるのだが、別に違和感もなければ岸政彦君が書きそうな哀愁も感じない。いわば、このあたりはアパレル関連の事業者が既に前世紀から撤退なり倒産を続けており、既に何年も前からアパレル関連の店舗よりもミナミで働く玄人さんたちのワンルーム・マンションの方が多くなっていたのである。よって、アーケードがなくなったらなくなったで、風情として先入観なしに眺めると、ごく普通のオフィス街にしか見えないだろう。

とは言え、アーケードというものは歩道に面している事業者が年間で1社あたり数十万円のメンテナンス費用を捻出して維持されている場合が多いため、そういう費用を集めることすら難しくなったのだろうと推察される。よって、オフィス街とは言っても「アーケードを維持するコストすら捻出できなくなった事業者の〈最後の〉集まり」と見做したほうがいいような気がする。かつて、当サイトでもテーマとして扱っている船場センタービルについて書いたこともある話だが、船場一帯がアパレル関連の卸業者の街として影響力を持っていた時代は、とっくに終わっている。したがって、街の構成なり施設のあるなしが変わっていくことは当然の成り行きだろうと思うし、それを何か保存するべき日本の〈原風景〉のように今頃になって懐かしんだり、個々の事業者が語る記憶に頼って些末な話をセンチメンタルに掘り起こしても、はっきり言って記録行動としても手遅れだと思うし、社会科学の調査としても手遅れだと言いたい。

それでも、僕が船場センタービルについてあれこれと調べているのは、表面的な話題ばかりで中身のない「ディープな大阪」といった切り口の雑な情報しかオンラインに残されていないからだ。しかも、船場センタービルについては、日本の社会学者が好む、在日とか、同和とか、貧困といった話題に直結しないがゆえに、誰も真面目に調べようとしていない印象があるので、そういうイデオロギー的な偏見によって調査や興味の対象になるとかならないという、それこそが差別としか言いようがないアプローチを哲学者として徹底的に排除して調べ上げるということに、なにほどかの価値があろうと考える。

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