Scribble at 2023-10-13 14:18:24 Last modified: 2023-10-13 15:13:48

正直なところ、アメリカはもう他の国の紛争なり戦争に首を突っ込むなという気がする。実際、アメリカが介入した他の国の紛争で本当に良い解決に至った事例なんて一つも無い。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン、多くのアフリカの内戦、ウクライナ、そして今度はイスラエルとハマスの紛争である。もとより、アメリカの歴史を丁寧に学んでいる人であれば、ロシアと同じことをアメリカで白人が続けてきた結果としてネイティブ・アメリカンの保留地といった悲惨な実態があるということが、即座に思い出されるであろう。それどころか、大量の黒人を「購入」して住まわせてきたという別の歴史もある。個々の事案においては建前としての「正義」なり「人道」を語ることはできようが、アメリカなんていまだに差別と人権侵害の最前線であり、アメリカの社会科学者なんてどれほど高額で分厚い書物を毎月のように出版していようと、総じて単なる左翼と無能の集団でしかないことは明白である。

はっきり言って、アメリカの社会科学に学ぶことなど殆どない。シカゴ学派なんて黒人の些末な生活記録を残しただけの、全く理論的な成果を出さなかった「事務屋」にすぎないし、タルコット・パーソンズなんてルーマンと比べれば(哲学者として言えばルーマンもたいがいだが)インチキな数理を振り回しただけの形式主義者だ。構造主義が流行させた低レベルな代数の扱いも、日本とやらで「量子社会学」を標榜しているバカと同じく愚かとしか言いようがないけれど、アメリカの社会科学の数理的な議論のインチキ具合は、科学哲学という立場で眺めると悲惨とも言うべきである。経済学の多くも、しょせんは西海岸と東海岸の成金どもの暮らしをコントロールするための数理的な手練手管にすぎず、要は「既に金をもってる人の金をどうするか」の話をしているに過ぎない。文化人類学も、その大半は自分たちとは異なる風習や文化への興味本意な没入にすぎず、大学生がフィールドワークと称して部落や釜ヶ崎で数ヶ月ほど「苦労体験」するような暇つぶしと大同小異である。プリンストンやハーヴァード大の出版局から大冊の書物として成果が出版されたり、あるいは東アジアの辺境地帯にある日本とか言われている国でせっせと翻訳してくれるおかげで古典的な意義があるかのように錯覚する人もいるが、実際には彼らの語る「文化人類学」なんてものは、稚拙な観光客的好奇心を「理論」として書き換えただけの紀行文にすぎない。

いま、アメリカが大手を振ってイスラエルの肩を堂々ともてるのは、もちろん国内の有力な公式・非公式の圧力団体であるイスラエル勢力にアピールできるチャンスだからである。これまで表面的には「人道」の名のもとにパレスチナ勢力にも愛想を振りまいていたが、まず 9/11 でそういうスタンスを取らなくてもいい絶好の機会が訪れた。しかし、だからといって簡単にイスラム勢力に対抗するような立場を取っても、今度は中東の産油国との関係が悪くなるし、いたずらにテロリストを刺激しても良くない。中東やアフリカでは、アメリカが助けようとしている人々の多くもイスラム教の信者だったりする。そうなると、とりわけ中東ではイスラム勢力の方から著しく不正義な行いをしてくれないと、なかなか叩きづらい。もちろん、昔から中東では(特に女性に対する)人権侵害や蔑視という明白な問題はあるが、これを建前として叩いてみせたところで政治的な影響関係は何も変わらない(イスラム圏の女性が男性に対して、事実上の「戦争状態」になっていればともかく)。

しかし、今般の紛争についてアメリカがイスラエルの肩をもってハマスを攻撃したところで事態は良くならない。The Atlantic 誌のオンライン版に掲載された論説では "Don’t imagine that overwhelming military force can solve an immensely complex historical and political problem." と提案している。そして、これはアメリカ人自身にも言えることだった。

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