Scribble at 2026-09-06 07:54:08 Last modified: 2026-09-06 08:06:54
もうそろそろ死語に近い印象もあるが、「ポリコレ」という言葉を見聞きできるのは、あと何年くらいであろうか。
ご承知のように、「ポリコレ」というのは "political correctness" の略であり、個々に是正すべきだとか解消すべきだと言われている差別や不平等については、もちろん僕は是正されたり解消されるべきだという各論を支持する。しかし、それを "political correctness" と呼ぶという総論には、僕は反対だ。なぜなら、少なくとも法学部法律学科で政治学を学んだ経験から言えば、政治において「正しさ」を基準にすること自体が一つのイデオロギーであり偏向に他ならないと思うからだ。そして、政治とはそういうイデオロギーなり色々な思惑や事情を突き合わせて政策を決めるための手続きや制度であって、政治そのものが多数決などの形式的な要件を超えて特定の政策を支持するようなイデオロギーに従うようなことであってはいけないと思うからである。
政治思想とか政治学という、理想や規範や抽象的な理論を立てるという脈絡において是非や成否を考え議論することは妥当であろう。よって、それぞれの政治学者や政治家あるいは僕たち国民が特定の理想や目標を掲げて政治を語ったり議論するのは全く何の問題もない。だが、現実の政治すなわち政策過程と呼ばれる状況やプロセスにおいては、たとえ民主制ではなく専制国家の政策を作るときであろうと、政治家は一定の牽制関係を考慮して利害を調整するものである。これを気軽に「リアリズム」などと言う者が多いせいで、利害関係の調整よりも一部を切り捨てるという冷酷さや非情さの方ばかり目立つわけだが、それは結果の一部にすぎない。バカじゃあるまいし、理由もなく放埓に自ら敵を増やす者がいるわけはないのだ。したがって、「政治的な」評価というものは、正しいか間違いかという尺度で測るべきではないというのが僕の見識である。
いわゆる「ポリコレ」が、ただの左翼思想や劣化民主主義者のスローガンとしてしか力を持たず、つまるところ一部の人々にしか説得力をもっていない最大の理由は、これである。なにごとかを最初から政治的に「正しい」と言っている時点で、それは単なる左翼のお題目にすぎないのである。それが、女性差別や年齢差別や学歴差別などを解消することだとか性的志向や障害や宗教的信仰への配慮など、僕も支持するようなスタンスであるとしても、それは政治において実現するようなことではない(そもそも、それらの不平等や差別の多くは既に憲法違反なのであるから、法的には既に保護され保障されている筈である)。
皮肉な響きがあるのは承知のうえで言うなら、政治や行政というものは特定の利害関係やイデオロギーだけに固執したり情け容赦がないからこそ、真の平等や公平を達成し維持しうる統治機能なのである。このように形式や平衡を重視するスタンスが欠落すると、たまたま人によってはラノベみたいな善政になるかもしれないが、ひとたび条件が変わればラノベみたいな圧政になるのである。いずれにしても、現実の世界に生きるわれわれは、そういう小説や漫画やアニメのような発想で、見ず知らずの他人を大量に巻き込む政治を考えたり語ったりしていてはいけないのだ。