Scribble at 2026-02-24 10:28:21 Last modified: 2026-02-24 19:39:55
僕のような、原因と結果の関係は認識論的なカテゴリーであり実在しないという反実在論を支持する者からすれば、こういうアプローチで書かれた論説というのは、もちろん歓迎するべきものだ。
ただまぁ、昨今はビジネス書でも「ナラティヴ」なーんてことを言う人が増えていて、企業の CI について何らかのストーリーをコーポレート・サイトなんかで提示して、顧客や社員や採用応募者へのプレゼンにしようなんていう連中が「ナラティブ経営」だの「ナラティブ・マーケティング」などと口にしている。もちろん、僕は UX のプロでもあるから、こういうインチキなオンライン・マーケティングやデタラメな PR というものは企業経営にとって悪影響をもたらすアプローチであり、冷徹かつ徹底して排除すべきだと思う。こういうのは、たとえば「企業のファン」を増やせばサービスや商品が売れるなどという妄想とセットになって、多くのベンチャーがコーポレート・サイトで採用しているわけだが、もちろん知名度があって一定のファンが特に何もしなくても既にたくさんいるソニーでもなければトヨタでもない、都内の金融ゴロツキ小僧かアイデア倒れの学卒連中が起業したにすぎないカスみたいなベンチャーのストーリーなんて誰も聞いちゃいない。おまえさんたちが身障者の集まりだろうと東大の博士号をもっていようと知ったことか、要はサービスや商品が役に立つかどうかが重要なのだ、というのが経済あるいはプロが設計する UX デザインの現実というものである。もちろん、ここで取り上げる論文は、そういう話とは殆ど関係がない。
この論文でサウル・アルバレス・アリアスは、歴史科学におけるナラティヴが単なる出来事の羅列ではなく、いかにして洗練された因果構造を持ち得るのかを分析している。まず前提として、ナラティヴによる説明(narrative explanation)は、説明対象となる出来事を特定の因果的な歴史の中に位置づける役割を担っている・・・いや、ふつう説明ってそうだろ・・・で、著者は、ナラティヴが用いる因果関係には複数の形態があると考え、それらを整理することで、歴史科学におけるナラティヴの独自性を浮き彫りにしようとしているんだ・・・って。Gemini まで NHK のアナウンサーみたいに「浮き彫り」とか、わりとよく使うみたいなんだけど、これって本多勝一氏の『日本語の作文技術』という本では冒頭で注意されていることだよね。しょーもない紋切り型や慣用句を安易に使ったり多用してはいけない。
まぁいい。で、第一の形態は、規則性(regularity)に基づいたナラティヴだ。これは、ある種類の事象(event types)の間に成り立つ普遍的な関係性(これ、「関係性」って本来は社会心理学の用語なんであって、ここでは人間関係のことを言ってるわけじゃないんだから「関係」でいいと思うけど、なんで頭の悪い大学生みたいな言葉遣いになるんだろう。Google には、もっとマシな人間の文章で Gemini をトレーニングしてもらいたいものだね)を特定のケースに当てはめるもので、物理法則やメカニズムを用いた説明に近い。この場合、原因は結果を生じさせるのに十分(sufficient)であり、ナラティヴは線形な因果鎖として表現される。しかし、こうしたモデルは直近の原因に焦点を絞るために過去を切り捨ててしまう(truncate the past)傾向があり、歴史の個別性や複雑さを十分に捉えきれないという側面がある・・・うーん。「原因は結果を生じさせるのに十分」とか、どさくさで因果関係の未熟な議論を展開されても困るんだけどなぁ。
まぁ・・・そこで著者が重視するのが、寄与因果(contributory causation)という第二の形態だ。これは、単独では結果を引き起こすのに不十分(insufficient)な要因が、複数組み合わさることで結果に影響を与える構造を指している。論文では、カンブリア紀のアケオシアスの絶滅を例に、海水の濁り、塩分濃度の変化、水温の低下といった個々の要因は単独では絶滅の決定的な原因(十分条件)ではないものの、それらが複合的に作用することで絶滅という結果に寄与したことを説明している。また、音楽史においてワーグナーの半音階技法がシェーンベルクの十二音技法に与えた影響も、この寄与的な「影響(influence)」として扱われている・・・
さらに、著者は第三の形態として、遡及的な分析によって初めて明らかになる遠隔原因(remote causes)を提唱している。遠隔原因とは、時間的に遠く離れているだけでなく、原因と結果の間に多くの未知の中間項が存在するものを指す。例えば、1933年のナチス・ドイツにおける公職追放法は、それ自体が10年後のホロコーストの十分な原因ではないが、官僚的・制度的なお膳立てとしてその後の惨劇に重要な影響を及ぼしており、遡及的に見て初めてその因果的な重みが理解される。
そして、最後に著者は、どのタイプのナラティヴを採用するかは、研究者がどのような問いに答えようとしているかというプラマティック(pragmatic)な目的、つまり研究の文脈に依存すると述べている。生態学的なメカニズムを解明したいのか、あるいは数億年にわたる生命の連続性や歴史の偶発性を描き出したいのかによって、呼び出される因果関係のレベルが変わるということだ。このように、ナラティヴは単なるお話ではなく、複雑な歴史的事象を論理的に解釈するための多層的な因果装置として機能している。
・・・というわけだけど、はっきり言ってプラグマティクスの話だと限定したうえであっても、はいはい、因果関係の哲学についてお勉強中だから、まだこの程度のプリミティブな議論を当てはめるだけで成果になったということだね、よしよし・・・みたいなものとしてしか読めないよなぁ。