Scribble at 2020-04-28 09:28:09 Last modified: 2020-05-09 20:28:58
Guardian の記事に限らず、日本でもマスクの製造が中国に大きく依存している点をあれこれと批評しつつ、「やっぱりグローバリズムは良くない」と叫ぶ人もいるようだが、しかし他方でグローバリズムによる国際的な平準化という圧力によって価格が押し下げられたがゆえに、日本の大して裕福でもない家庭のガキでも iPhone なんて玩具を手にできるようになったのだという、まぎれもない経済学の事実はしっかりと自覚しておいたほうがいい。アメリカや日本のガキまでもが自分専用の電話やパソコンをもつなどという贅沢を享受できるのは、しょせん中国やベトナムでそれらをガキどもの小遣いより安い賃金で組み立てている貧しい農村出身の若者たちがいるからなのだ。もちろん、それがそのままの状況でいいというわけでもないのは確かであろう。なぜなら、一方では通信料金を毎月のように1万円くらい使っている日本の子供だけでなく、そうした貧しい工場労働者たちも、19世紀のブルーカラーほどは貧しくないため、山形さんらが言うように総じて「世の中は良くなっている」のかもしれないが、しかし格差が固定されたままで全体がスライドしているという事実を忘れてはいけないし、実際のところその格差は tricle-down economics がどういう統計的・数理解析的なトリックを捻り出そうとも、広がっている可能性が高いからだ。
さてでは、僕はアマゾンで洋書と古本を買うことが多い。新刊書はなるべく実店舗で買うようにしているのだが、やはり最近は書籍が高くなっていて、もう哲学の専門書なんて何年も新刊で買っていない(もっとも、わざわざ買って読むに値するものがないという事情もあるわけで、たいていは図書館で借りているのだが、最近は借りる必要すら感じない)。それらについて、アマゾンを避けて買うということを考えてみると、日本で公刊された書籍の古本については、kosho.or.jp というサービスがあるにはある。ただし、ここに登録している古書店の店主に聞いたことがある話だが、あまり積極的に登録情報を増やしたり更新していない店が多いという。やはりどうしてもアマゾンやヤフオクの方がアクセスは多いから、そちらへ注力するからだ。アマゾンで出品されている古本の掲載情報に、「アマゾンへの出品専用」としている場合もある。洋書については、国内の書店が扱う値段とアマゾンでの値段とで圧倒的な差があったという最初の印象が強くて、いまだに紀伊國屋などのサイトはユーザ登録する気にもならない。洋書は高いという印象があるし、国内の書籍は実店舗で買うし、古本は扱っていないとなれば、紀伊國屋のサイトを利用する意味はないからだ。
こういうわけで、僕の用途に限って言えば、アマゾンを避けるというのは難しい。また、記事では電子書籍という選択肢についても書かれているし、電子書籍を積極的に利用するようになれば、確かにアマゾンへ固執する必要はなくなるだろう。ただ、僕は必要を感じていないし(電車通勤しないから列車で読んだりしないし、会社で読む必要はなく、自宅の本を読むのにタブレットを使う必要はない)、蔵書を電子書籍として《買いなおす》なんてナンセンスは論外だ。 確かに著者や出版社へ《正当な対価》を支払うことは大切だが、古本として500円で買った本を、なんで電子書籍として定価で買いなおさないといけないのか。