Scribble at 2024-08-14 14:14:57 Last modified: 2024-08-14 14:30:33

ちなみに勘違いされると困るのだが、『論語』が孔子らの言行録であり、儒教を広める有力なツールとしてアジア圏に普及してきた著作物であり、家父長制など幾つかの思想を述べているなんていう、高校生でも知ってるようなことをつまみ上げて、都内のインチキ左翼がブログに書くようなマウンティングをしたいわけではない。いやしくも哲学に携わっている者として、「これはいまどき通用しない」とか「クールではない」なんていう学生の卒論みたいな視点や基準で読むつもりはないし、保守を名乗っているからといって自分の考えを裏書きしてくれそうな片言隻句を見つけて namedropping したいわけでもない。

ありていに言えば、問答無用で「古典」だから読むというだけのことである。それ以外の、何か深刻で高尚な事情や理屈など全くないわけで、つまりはただの暇潰しである。ただ、暇潰しでもそれなりに自分自身の考え方や生き方についての成果は出したいという希望なり期待なり見通しがあって、そのためには無能共がつまらない論文を書くためにやってる情報処理まがいの「まなび」なんていう文科省レベルの小手先勉強ではなく、ノートをとりながら丁寧に読みつつ考える必要があるというだけのことだ。

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