Scribble at 2025-04-24 22:07:39 Last modified: 2025-04-24 22:14:11
何日か前に NHK の『クローズアップ現代』という番組で、子供の SNS 利用について海外では年齢制限を設けているといった話題を紹介していた。アメリカでは一部の州で SNS の利用が禁じられたりする措置が講じられており、現地で暮らす家庭を取材して親子の会話を放送していたりした。
僕はつねづね思うのだが、こういう場合に決まってアメリカの子供というのは、「自分の意見を持っていて」「親と対等に話をする」というステレオタイプで描かれる。実際には、そんな家庭は日本の左翼があこがれるほど多くないわけで、特に上流家庭と下流家庭では子供の言うことなど親は聞く耳をもたないか、子供が何をしていようと知ったことではないという家庭も多い。つまりは、NHK が喜んで描く「民主的でリベラルなアメリカの家庭」というのは、それこそアメリカの一部でしかないリベラルな家庭だけの話なのである。
そして、もう一つだけ指摘しておきたいのは、たいていは肯定的に描かれる「子供の自己主張」なるものは、本当のところ幼稚であり、無謀であり、大多数の場合において失敗に終わるということだ。たとえば、その番組に出ていたアメリカの女の子は、SNS を使う理由として「既にテレビや新聞など全く使っていなくて、SNS が情報を得る手段になっている」などと言っていた。もちろん、それが根本的に愚かな態度であることは、アメリカの左翼ですら知っているはずだが、日本に輸入されるとなぜか「自分の意見を持って立派に発言する子供」として美化されてしまう。
だが、アメリカではそういうリスクも引き受けたうえで子供の自主性に任せているのである。子供が SNS を好きに使ってレイプされたり殺されても、原則としてたいていの他人は同情しない。法的に規制しようとする被害者の親をサポートする人がアメリカで非常に少ないのは、何も他人事だからというだけではなく、そういうリスクが分かったうえでやってることであり、そのリスクがあってこそ自由かつ自主的に決めて行動できるのだという信念があるからなのだ。日本のように、何かあれば左翼の活動家や手弁当の弁護士や行政がケツを拭いてくれるなどという甘えた「インチキ自由主義者」なんてのは、結局は戦後80年が経過してもアメリカ人の「自由」という観念を理解できていないと言える。