Scribble at 2023-09-18 16:29:22 Last modified: unmodified

かなり若い頃から、それこそポール・ボネとかイザヤ・ベンダサンなんていうインチキ外国人(実はどちらも日本人)が外圧よろしく外国人から見た日本の風習とか日本語の使い方とか外来語とかに物申すという本は読んでるんだけど、正直なところ意味がないなと思う。僕自身がそういうものを読んで改めたことなど一つもないし、そもそもインチキ外国人ていどが気づくようなことは、まともな日本人は最初からやらないものだ。よってそうした本も、わずかに手元に残っているけれど売り払うこととした。

その他にも、紀行文の類は小説と同じく読み物として楽しいのは分かっているけれど、そういうものばかり積み上げるのもどうかと思うので、それらも売却する。小説をたくさん読めば感受性の豊かな想像力あふれる「良い人」になれるというものでもないし、そもそもそんな後ろめたさという動機で小説を読むような人間は、まず部落差別やレイプ被害者の記録とかを先に読むべきではないか。そんな遠回しの小説なんぞでしかわからないようでは、それこそ感受性どころか事実を事実として真正面から理解する気概というものに欠けていると言わざるをえない。世の中の問題や自分自身の問題というものは制度的・社会的に解決しなくてはいけない。文学的に解決なんてしないのだ。

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