Scribble at 2025-01-02 09:04:17 Last modified: 2025-01-03 16:59:00

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秋山泰彦『モノクロ×ライカ フランス・パリ〜ベルギー・ブリュッセルをライカで撮る』(スタイルノート, 2010)

人によって評価は異なる可能性もあるからリンクして紹介しておくが、僕はお勧めしない。

本書を手にした理由は、僕が Stable Diffusion でモノクロの風景を出力しているからだ。しばしば、間違ったアナロジーで「画像生成 AI はデジタル・カメラである」などと言われるが、実際はカメラの機種名やフィルムの名称をキーワードとして使ったところで殆ど効果はない。なので、たとえばアンセル・アダムスのような風景写真っぽい画像を生成したいのであれば、それこそアダムスの写真を大量にトレーニングしないといけないかもしれないが、僕はそんなことをしてもアダムスのような写真は出力できないと思う。絵画の画法のようなものとは違って、写真をどれほど学習しても個性として取り出せる微妙な特性を AI が感知できるとは思えない。それに、個性であろうとなかろうと、ISO 100 と ISO 200 の違いを Stable Diffusion で正確に表現することは非常に難しい。逆に言えば、そういう些細なところで決定論的な違いが出るほど制御可能であれば、それはただの「お絵描きロボット」にすぎず、ディープ・ラーニングを有効に使った AI とは言えないだろう。なので、しばしば微細な風景の画像を生成したプロンプトに "Ansel Adams" などと気取ってアーティストや写真家のキーワードを入れている事例を見かけるが、あんなのはただの飾りです、偉い人にはそれがわからんのです、という印象しかない。アホみたいにコントラストを強くするだけでアダムスの風景写真になると思ってるようなら、それはモノクロ写真家としては三流ということだ。

しかし、そうは言っても統計的におおよその指示を出せるというのも生成 AI の特徴であって、全くのランダムで制御不能というわけではないからこそ、高校生の諸君は同級生のスケベな画像を出そうとするし、サラリーマンはクズみたいな営業トークを出そうとするし、インチキ経営コンサルはセミナーのネタを提案させているわけだ。そういうわけで、試行錯誤の余地がまだ多く残っていると思う。特に、僕が自宅のマシンで利用している Stable Diffusion 1.5 は2年前にリリースされた拡散モデルだが、既にそれすら「古典的」と称されるほど進展の早い業界で、SD 1.5 はいまでも多くの利用者がいる拡散モデルであり、特定のフィルムの特性を強化した LoRA も多く公開されている(ただし、上で書いた理由と同じく、そういう LoRA にどのていどの効果があるかは疑問の余地が多い)。また、撮影の角度や光の当たり方や光源の強さや季節や時刻など色々な要素を効果として加えられる余地はありそうなので、もちろん一定の統計に従うていどの効果ではあるが、現実の撮影技法や撮影技術に学んでプロンプトを工夫する余地はある。なので、モノクロの写真について色々と調べているわけなのだった。

モノクロの写真をたくさん見るというだけであれば、Internet Archive に山程あるのはご承知であろう。国内でも、国立国会図書館デジタルコレクションに写真の専用ページがある(https://dl.ndl.go.jp/ja/photo)。そのようなわけで、実際に販売されているモノクロ写真の本を手始めに買ってみたのだが、上で紹介した本は失敗である。

まず、判型を確かめずに古本で買ったのだが、実際に届いてみたら 186mm x 184mm という写真集によくある正方形の判型だった。判型のプロポーションはともかくとして、この大きさはスナップ写真の写真集にありがちな、ディテールよりも構図やテーマが優先の、かなり小さい印象を受ける。

これはそういうものだと思えば仕方ないが、実際に収録されている写真に目を奪われるような1枚が全くなかったというのも、僕が本書を評価できない一つの理由だ。著者は芸大出身でもなければデザイン事務所にもいたことがない独学の写真家らしく、アマゾンで検索しても本書の他に著者の名前で刊行されている写真集は一つもないらしいが、このような写真で一冊の本を出版できるというのは、日本が出版や報道についてアメリカの核の傘でいまだにヌクヌクと惰眠をむさぼっている一つの証拠ではないかと思わされるほどだ。つまり、日本の出版事業者というのは事業経営なりファイナンスにおいて何か致命的に甘いのだ。それゆえこういう本をどんどん気軽に出版できてしまう。

本来、出版事業というものは個々の本の刊行が一般企業で言う投資に当たるので、むやみにできるものではない。次から次へと雑誌や本を刊行し続けなくてはならないという意味ではメーカーに近い事業だが、個々の出版物は刊行するたびに著者も内容もプロダクトとしての装丁も異なるし、場合によっては一般向けか行政向けかという販路すら違う場合もあろうから、同じことを繰り返していればいいというわけでもない。なので、売れない本を出すのは経営を傾けるようなことになりかねないのだが、日本の出版社というのは簡単には倒産しないもので、このような本を幾らでも出版できてしまう。確かに売れなさそうでも出版できるというのは、学術書のようにもともと売れない本を出版できるという意味では「良いこと」であるように見えるが、それは良いことであるように見える結果だけを見ているからだ。

他に、本書は紀行文としてもイマイチだし(単にフランスの治安や公衆衛生を嘲笑しているようにしか思えない)、やれ教会では撮影が禁止されることもあるだの撮影で他人を邪魔しないようにだのと、芸大の写真学科1年生にするような話を繰り返すだけで、撮影のポイントや技法についての解説は貧弱このうえない。そもそもヨーロッパへ行って教会を撮影するということ自体が物見遊山の感覚であり、僕からすればセミ・プロとしか思えない人物の著作としては他に何か独特の切り口やテーマがなかったのかという気分が強く残る。要するに、フォト・エッセイとしてどの着眼点で見ても及第点に達しておらず、本来なら150万円くらいする Leica M を中古で安く手に入れたというだけの話でしかない。それこそブログにでも書いておけばいいような内容だ。

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