Scribble at 2024-10-26 13:38:43 Last modified: 2024-10-29 08:08:57
もしも選択的夫婦別姓が導入されればどうなるか。別姓を「選択」せよと、社会的圧力が確実に増す。ファミリーネームが喪失し、子供の姓もバラバラになる。家族の一体性という、日本人の倫理観の根底にあるものが崩れてしまうのだ。
この手のインチキ保守の特徴は、無知無教養の分際で勝手に「ファミリーネーム」を定義しておきながら、それを伝統だの風習だのと言い立てて、それがなくなると日本とやらが崩壊すると他人を脅迫するところにある。まさしくエセ同和や総会屋と似たような手口だ。
われわれのような真の保守がこういう連中の代わりにまともな議論を示しておいてやると、ファミリーネームというのはただの苗字であるから、夫の苗字だろうと妻の苗字だろうと同じことである。選択制は、各自でどちらの姓を名乗ってもよいということだから、理屈のうえでは妻が夫の姓を名乗り夫が妻の姓を名乗ってもよいし、両者がどちらかの姓を名乗ってもよい。こんなことで「伝統」やら「家族の絆」とやらが消え去るわけでもないのである。それに、こういう口先だけの国柄とやらを語る連中は、きわめて重大な事実を誤魔化しているのである・・・それは、スメラミコトには苗字がないという決定的な事実だ。
そもそも古代史の素養があれば常識のはずだが、苗字というものはスメラミコトから与えられる官職や尊称を表すものであり、「ダースベーダー卿」の「卿」と同じようなものだった。したがって、貴族でも武士でもない庶民に長らく苗字がなかったのは当然であった。それでも、たいていは庶民の末裔である僕らの先祖は苗字なんかなくても、それなりに恙無く家族として暮らしてきたからこそ子孫を残せたわけである。つまり僕らがいま生きていること自体が、苗字なんかなくても家族は維持できるという明白な証拠なのだ。(もちろん、家族の意義は子供を生み育てることだけが全てではないし、必要条件でもない。)
それから、こういう手合は、もしも選択制が導入されると、同姓の夫婦は自称意識高い系の左翼から「遅れた人々」とか「反動的な人たち」として差別されるので良くないなんてことを言う。でも、そんなお化けを勝手に作って被害者意識をむき出しにするのは、僕のようなレベルの保守の人間からすれば、明らかな敗北主義というものである。そもそも選択制というのは同姓にしても別姓にしてもよいので、「選択できるようにせよ」という制度であるにすぎない。別姓にしても同姓にしても、それは各自の考えや趣向の問題であって、信仰やイデオロギーのようなものだ。いったいどう選ぼうと他人にとやかく言われるようなことではあるまい。そして、別姓にしたい人々が同姓の制度において強制されている現状は、明白に「とやかく言われる」レベルを超えていて特定のスタイルを強要されているのだから、これは是正するべきことであろう。