Scribble at 2021-08-05 10:55:30 Last modified: 2021-08-06 16:30:45

英語の勉強について

英語の辞書を眺めて言葉を覚えるなんて機会は、そうそうあるものではない(母国語ですら)という話を書いたが、それでも英語の勉強には辞典が欠かせない。英単語集でも単語は覚えられると書いたが、英単語集だけでいいとか辞書が不要だとは言っていない。英単語集なんて数千語を収録しているとは言っても、しょせん数千語にすぎないからだ。それに、英単語集の語釈はたいてい一部の意味しか掲載されていないし、しかも簡略で、酷い時はネイティブが使う最も自然な意味合いが優先されていなかったりする。こうした偏りを防ぐには、もちろん辞書だけでは不十分なのだが、それでも辞書を欠いては結局のところ遠回りの習得になってしまう。それゆえ、プロの翻訳家でも辞書を手元に置くのである。なお、英語と日本語とでの翻訳を手掛けているプロの翻訳家や通訳者は、いわゆる英英辞典だけでなく、英和辞典も和英辞典も、それから国語辞典も使うのが普通だ。なまじっか英語の勉強に英英辞典を使うといいなどと予備校の講師などに言われたからといって、英英辞典だけで足りるなどと言っているのに限って、〈独りよがりな日本語〉として物事を理解したり訳してしまうアマチュアだ。しばしば、「英語でものを考える」などと安っぽい文化人類学みたいなことを言う人もいるが、日本で生まれ育った人間にそんなことは不可能だし、そうする必然性もない。

さて、上記のページでは、僕が中学時代に愛用していた LDOCE の初版を紹介したのだが、それからも今に至るまで他の英英辞典も色々と使っている。既に発行していないようだが、Cambridge の辞書も使ったことがあるし、Macmillan の初版(初版は Macmillan English Dictionary for Advanced Learners of American English として米語専用の辞書が出ていた)も Merriam-Webster も COBUILD も使ったことがある。しかし、やはり手元で使う頻度が多いのは LDOCE(3訂新版、2001)で、その次が OALD(第8版、2010)だ。頻繁に買い直しているわけではなく、それらの辞書が新語に対応してないのは自明だから、そういうのは Merriam-Webster の Android アプリケーションで辞書サービスを年間購読している(年間で、たったの230円)。更に辞書でも扱いきれていない最新の流行語や言い回しともなると、実は現地で政治家の失言とかコマーシャルやテレビ・ドラマや映画を観ていないと分からない場合も多いため、フォローするのは諦めている。というか、非常に難しい表現があるのも事実だが、そういう例外的な言い回しについてはニュアンスが分かればいいというくらいに考えているからだ。ニュアンスすら分からないような人は、そもそも英英辞典を片手に抱えていても言葉のセンスがないのである。恐らく、そういう人は日本語で書かれている文章ですらニュアンスがつかめない人だと思う。

LDOCE は、他の辞書に先駆けていち早く語義用の基本語彙として 2,000 語を選定し、その語彙だけで語釈を記述するという方針を打ち出した。いまでは大半の辞書が同じ方針を踏襲しているので、目新しいとは言えないが、LCODE の記述は先行者としての経験が活かされているからか、やはり分かりやすいし的確だ。他の辞書だと限られた語彙で記述する必要があるために、やたらと回りくどくなったり、簡単な単語を使いすぎて酷く抽象的になるか意味が曖昧になったりしている。更には、基本語彙を選定するとたいていは似たりよったりの語彙となるため、語義の記述が他社の辞書とまるっきり同じだと問題があると考えてか、かなり見苦しい言い換えをしている事例すらある。更に、LDOCE を使い続けている理由として、最近は LDOCE でも〈不純な〉傾向を示しているが、僕が使っている3訂新版では二色刷りであるのも使いやすいからだ。

僕は、それこそ「子供」の頃から「子供用」として販売されている、図版がやたらと多くて説明もいい加減な辞典や辞書が大嫌いだった。中学でも、学校から指定された辞書は「中学生向け」とされる収録語数の少ない、文字だけがやたらとデカくて多色刷りという、人をバカにしているとしか思えないものだったので、後に NHK で英語番組の講師もしていた高橋先生 (*) には申し訳なかったが、発売されたばかりの『プログレッシブ英和中辞典』を勝手に授業に持ち込んでいた(それでも特に周りから冷やかされたり非難されたりしないのが、いわゆるまともな進学校、つまり他人を蹴落とすことしか考えてない連中が集まる名ばかりの進学校とは次元の違う進学校の長所でもあろう)。そういうわけで、辞書については英英辞典だろうと漢和辞典だろうと無用な多色刷りは却って使い勝手が悪いし、はっきり言って持っていてもダサいので、最近の辞書はあまり買う気がしない(もちろん辞書は新しい方がいいという一般論は知っている)。

(*) 現在、高橋先生は某大学で教授をされているという。そういえば、中学の修学旅行で深夜に賭けのカブをやってたのがバレたときは、部屋の外に全員が正座させられて、一人ずつ高橋先生に〈指導を受けた〉思い出がある。確か空手か柔道の段を持ってたはずなので、本気ではやっていないと思うが、僕も含めて何人かは呼吸ができなくてもがいていた記憶がある(念の為だが、こんなことをネタにして cancel culture で騒ぐ必要はない)。

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