Scribble at 2023-02-17 20:33:43 Last modified: 2023-02-18 09:52:19

へんな想像だけど、仮に世界中の人が一生のあいだに1冊でもいいから大学レベルのテキストを読了して中身を十分に理解できるていどの素養を身に付けたら、そら色々な意味で劇的な変化があると期待していいんじゃなかろうか。もしそうでないなら、学問とか教育なんてしょせんは一部の裕福な(そして、できれば有能な)人間だけがやってりゃいいわけであって、僕ら凡人は彼らをサポートするか、少なくとも邪魔しないだけに留めておくのが無難ってことになる。でも、大して強い根拠はないにしても、そうは思いたくないという心情がある。凡人だろうと裕福でなかろうと、何かしら学べば何かしら役に立つと思いたい。勉強しなくないとか、ものを知ったり考えたくないやつはいいよ。勝手にすればいい。でも、少なくとも学んだり考えてる人たちの邪魔はするな。

そうすると、望む人たちに一定の教育を授けてから、だいたい18歳くらいになった人たち全てに、彼女らが望む分野のスタンダードな教科書を無償で(それこそ、手渡すためにどれだけのコストが別にかかろうと)配布するとしよう。もちろん、ジャパンとかいう国で毎年のように輪転機から投げ出されている200ページたらずのクズみたいな教科書のことではなく、Peason とか The MIT Press とかから出てる、最低でも500ページを超えるまともな分量の self-contained なテキストのことだ。20年以上にわたって多くの大学で使われている実績があり、査読に関わったプロパーだけでも100人を超えるような、法学で言う「基本書」と言えるようなものである。分野はなんでもいい。物理化学だろうと宗教人類学だろうと、そういうまともな教科書がある分野であれば好きなものを選んでもらい、無償で与える。その代わりに、(1) 必ずそのテキストを読めるだけの素養を身に着けてから、(2) 読了し、(3) そして更に他人へ内容を教えられるていどに十分な理解へと至ることが求められる。

そういうテキストの大半は高校での勉強を十分に修めていれば読めるように書かれていることが多いのだけれど、実質的に (1) の時点で多くの国が困難を抱える。後進国では、大多数の若者が (1) どころか日本で言うところの義務教育レベルすら授けられていないからである。よって、こういう妄想にも何らかの意味があるとはいえ、やはり (1) をどうにかすることが大切だ。あとは、正直なところテキストを無償で届けるなんて実質的には今でも多くの国の学生にはできている。つまり、PDF でいくらでも落ちてるものを拾って読んでる学生なんてたくさんいるのだ。

そうやったとして、更に加えて ChatGPT などのツールが使えるように無償でパソコンを提供したとしても、やっぱり或る国家は他の国を侵略するだろうか。あるいは、同じ国に生きていて肌が違うとか育ちや性別が違うというだけで殺したり差別するのだろうか。それは分からない。「知は力なり」なのかどうか、それは人類史の総計によって実証するべきことなのだろう。いずれは人類なんて死滅するわけだが、その引き金を自分で引くのか、それとも避けようがない何らかの自然現象によって儚く滅亡するのか。そこで違いが分かれるのだろう。でも、滅亡するならどっちでもいいじゃないかという考えもありえる。核兵器のボタンを押すことで100年後に生まれる筈だった子孫が生まれてこない事態に陥るとして、果たしてそんなことに責任を負うべき者がいるのだろうか。

論理的には、ない。でも、僕は誰に対しても責任がないなどとは思わない。センチメンタルな言葉の彩として「後の世代への責任」などと安っぽい言葉を並べる文学者や社会学者は掃いて捨てるほどいるが、ではいま自分たちが生きている同じ場所で暮らしている人々への責任はどうしたのかと言いたい。クズみたいな本やしょーもないポッドキャストや YouTube やテレビ番組で小銭稼ぎばかりしやがって。

もう少し冷静な話に戻すと、いま欧米の大学で学部生が手にしている大部の教科書、典型として挙げると、生物学ではキャンベル(抜粋じゃない方)、物理化学ではボール、それから一般相対論では「電話帳」と呼ばれるホィーラーらの Gravitation、組織行動論だとハッチ、あるいはマクロ経済学やミクロ経済学なら多くの良い教科書があるだろう。これらのうち、1冊だけでも一生かかって読み込んで生活するというわけだ。もちろん、人は教科書だけから学ぶわけではない。他に誰かとの会話や仕事など色々な機会に学ぶのだから、何も読書だけで人の社会が「善く」なると言いたいわけではない。しかし、各人がまともな内容と分量のテキストを1冊だけ読了するていどの素養(つまりは本を読むことがポイントなのではない)を身に着けるということに何の価値も影響力もないなら、はっきり言って啓蒙の概念は空手形にすぎないと言える。よって、あまり大声では言えないだろうが、Library Genesis だろうと他のサイトだろうと、常用はするべきじゃないと思うが、一回くらいは使って海賊版の PDF をダウンロードしてもいいと思うね。極端なことを言うと、アフリカにある国をどれか一つ選ぶ。アフリカなのは、敢えて言えば貧しいからだ。そこの国民で18歳以上の人が500万人いたとして、彼らが欧米の出版社から発行されている大学教科書の PDF 版を海賊サイトから手に入れたところで、出版社にとっては何の脅威にもならないだろう。逆に、そこでの500万部の売り上げがないと倒産する出版社なんて一つもない筈である。確かに皮算用を理由に「機会喪失」だと訴えることはできるし、現に SciHub など多くの海賊サイトが訴えられているわけだが、大半の出版社から出てる教科書なんて、欧米の大学の学生が買ってくれるだけで収支が合うようになっている筈だ。加えて、いまでは電子化したおかげで僕らのような学生でもない辺境地帯の好事家まで買ってくれる。何の不足があるのか。

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