Scribble at 2023-02-18 10:30:07 Last modified: 2023-02-18 11:52:15
昨日、csh / tcsh のセールス・ポイントである「履歴」や「エイリアス(別名)」を評価しないと書いたのだけれど、だからといって無視したいわけでもない。実際、最低でもアンダーソン&アンダーソンが書いた『UNIX C Shell フィールドガイド』(翻訳でも訂正が加えられているペーパバック版の方)くらいは目を通して、実際にターミナルで色々と使って試している。
これはシェルの運用だけに限った話ではないが、僕が仕事や生活で大して使ってもいないプログラミング言語を学ぶのは、簡単に言うと(科学)哲学の勉強と同じで、他人が何をどう考えているのかを知るためだ。何やらコードを書いているが、このプログラムはどういう理屈で設計されて、どう動くのか。これは、その言語の仕様とか便法を学ばなくては分からないことである。大学で学んだ科学哲学も結局は同じ理由で学ぶのであって、自分としては自分なりの課題とか関心があるけれど、他の人たちは分析哲学だ現象学だと称してジャズの音程だのワインの味だのアダルト女優のケツだのを論じている。あれは高踏趣味なのか、それともバカなのかというわけだ。
よって、僕は大学では科学哲学という分野を専攻したけれど、それはその分野で「他人が」議論しているテーマに関心をもったからだ。僕自身は「科学の」なんて修飾語を付ける必要がない哲学者であるから、専攻はともかく自分がやっていることを何々哲学などと自称する必要は感じない。おそらく、専攻を「分析哲学」とか「科学哲学」と書かずに「哲学」と書いていた、師である竹尾先生も同じ意見だったのではないか。