Scribble at 2021-09-17 12:40:29 Last modified: 2021-09-17 12:57:54

経営学という学術分野が、社会科学としてまともなレベルになって50年ていどの未熟な状況にしかないと書いたのは、多少の誇張があって不当と言えば不当なものだ。もちろん、いま調べているエリオット・ジャックスだとか、あるいは更に昔ならチェスター・バーナードとか、敬服に値する業績を上げている人々はたくさんいる。だが、それら個々の業績が着目に値する優れた成果だとしても、分野としては総じていまだに未熟であると言ってもよいだろう。実際、エリオット・ジャックスが経営学の教科書にすら名前が出てこない理由として、『戦略のパラドックス』の著者であるマイケル・クレイナーは、彼が当時の経営学の業績を非科学的として徹底的に無視していたという事情にもあったと説明している。

企業の経営を研究していた人々の中には、ジャックスらのように、自分が「経営学者」であるかどうかなどという些末な自意識など関係なしに、自分がやるべきことをして業績を上げる人々がいたわけで、僕らアマチュアの研究者は彼らが経営学の教科書に名前が載っているかどうかとか、日本で著書が翻訳されているかどうかに関わりなく、言わば経営学という分野のエスタブリッシュメントなど無視して取り組める(そうして自由に研究していても、科研費がもらえないとか、学界で理事になれないといったことなど、知ったことではないのだから)のが最大の取り柄である。もちろん既存の研究コミュニティと必要に応じて一緒に取り組んでも問題はないが、そこでの地位や立場や人間関係に取り込まれた上でものを考えるようになってしまうと、しょせん「独立研究者」だの「在野研究者」と自称していても、博士号がないか大学のポジションを得ていないだけの〈学者と呼ばれたいという自意識でものを研究しているだけの俗物ども〉には変わりない。現に、そういうことを言っている連中で世界的なスケールでの業績を上げたものが一人でもいるだろうか。そんな下らない自意識とは関係なく、真の独立した(そして、わざわざ自らに「独立研究者」などとラベルを貼ろうとしなかった)南方熊楠などに比べたらカスみたいな連中ばかりではないか。さらに現在では、元々の研究分野の業績も出せなくなっているらしく、士商法同然の実務ネタでものを書く連中も増えている。そのうち、「在野研究者協会」などを立ち上げてセミナーを開いたり、在野研究者としての認証事業を初めて「独立研究1級技師」のような資格も作るのではあるまいか。

もちろん、ドラッカーやテイラーといったロック・スターたちの業績は、特にテイラーの詳細な調査結果に幻惑される人も多いと思うが、非科学的と言いうる。『ビジョナリー・カンパニー2』ではたった11の会社を調べただけで偉大な企業の条件を見出したと言っているのだから、真面目に考えたらおかしな話だと誰でも気づくだろう。だが他方で、科学哲学者として言わせてもらえば、この手の「非科学的」とか「科学的」という言葉ほど各人の勝手な主観で使われている言葉もないのであって、いまではクリスチャンからマズロー愛好者の心理学ファンやトランプの支持者に至るまで、誰も彼もが自分たちの意見を "scientific" だと言う始末である。日本では左翼が(いまでも)いまだに最大級の褒め言葉として「科学的」という言葉を弄んでいるのは、多くの方がご存知だろう。

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