Scribble at 2024-06-25 11:01:55 Last modified: unmodified
聞いたことがある方もいるとは思うが、行動経済学という分野は経済学に心理学を応用していることで知られていて、要するに従来のゲーム理論一辺倒な、合理的エージェントを想定した数理モデルだけでは現実の経済現象や経済状況を理解するには不十分であるという前提に立っている。既に報道でも行動経済学の研究者が取り上げられる機会もあったので、特に詳しく説明するまでもないとは思う。
ただ、それゆえに心理学の成果が信用に値するかどうかに依存しているわけで、これはご存知の方もいるだろうが、Thinking, Fast and Slow の著者として知られていたダニエル・カーネマンの「プロスペクト理論」なんかも、実は根拠が弱い理屈でしかなかったなんていう議論が出たりしている。また、営業や官僚が話題にしている「ナッヂ」なんていうコンセプトにしても、要するに詐欺師や独裁者の手法ではないのかという別の脈絡での非難もあったりする。
で、いま僕が手にしているのは、何年も前に一読したことはあるのだが、ノートを取っていなかったから詳しい内容を忘れてしまっていて、このほど蔵書を整理する一環としてノートを取っておいて売り払ってしまおうとしている、ジョージ・エインズリーの『誘惑される意志』(山形浩生/訳、NTT出版、2006)だ。僕が手に入れた当時ですら、既に11刷を数えていたほどの売れ行きで、単行本の通俗書としては良く売れたタイトルだと思う。でも、本書のテーマである「双曲割引」を他の文献とかメディアの記事で見かける機会は殆ど無いし、クリシン関連の入門書でも見かける事例は少ない。本書は双曲割引の提唱者であるエインズリーが書いている古典ないしは基本書と言ってもいい本なので、この手の議論では必ず参照されるべきものだが、どうも目にする機会がない。
これは、行動経済学の概念としてはあまりにも重要かつ基本的であるため、物理の教科書にニュートンの名前が何度も出てくるわけではないのと同様に、エインズリーや双曲割引も敢えて頻繁には出てこないということなのだろうか。「力」の話をするたびにニュートンがどうのと言っていては、議論がぜんぜん進まないからだ。しかし、どうもそうは思えない。あるいは、ただの常識を言い換えているだけということなのだろうか。そうであれば、いちいち双曲割引などという概念に訴えるほどのことでもないという扱いを受けるのも仕方ないとは言える。
そうは言っても、僕はこのような概念を丁寧に扱うべきだろうと思うので、再び読んでノートに取っておこうと思う。行動経済学、いや心理学そのものも、さほど歴史のない、出鱈目な議論や実験や思い込みの上に積み上げられた未熟な学術研究分野ではあるが、学ぶべきことはたくさんある。そして、このような議論が、ひとまず多くの人に読まれていてもスルーされがちで、人々の思想として残らない事情のようなものも分かる気がする。多くの人には、自分の生活や人生や意志といったものが、機械的で有機的で物理的なところに乗っかっているだけのものだと思いたくないという心情がある。それゆえ、哲学においても(哲学プロパーだって、その多くは凡人なので)決定論と言われるだけで嫌悪感を抱く人がいたりするものだ。でも、人がやってることの多くは、心臓の自律的な鼓動がそうであるように、人が何か自分自身の意志で制御できるものではなく、生理的・化学的な「反応」の結果にすぎないのである。僕は、行動経済学が従来の経済学に対して人の心理に訴えて出てきたというポイントには、二つの意味があると思っていて、その一つを過剰に強調すると、人の心理は合理化できない云々というセンチメンタリズムになってしまうわけだが、もう一つのエインズリーらの成果などを一緒に考え合わせれば、理屈の建て方がいけないのだというスタンスになる。ただ、そのスタンスは、「人の心理は合理化できない」と叫ぶだけで、実は勉強したりものを考えたくないだけの馬鹿を利することになるので、みんなこういう本を自分に都合よくかじるだけで、後はなんにもしないのだ。実際、ウィキペディアで「双曲割引」の記事を見ても、記事の書き方としてまともなフォロー・アップの文献一覧や他の研究者の業績などがぜんぜん紹介されていない。つまりは、エインズリーの本書を読んだ程度の人が「まとめ記事」として双曲割引の概略を書いているだけなのだ。これははっきり言って学術的な概念の扱い方ではない。アマゾンのカスタマー・レビューなどによくある商品紹介にすぎない。
それだけ、真面目に扱おうという人が少ない話題については、逆に丁寧に扱おうという気がする。これは、情報セキュリティでも秘密分散や物理的複製困難関数といった概念を扱ったりするスタンスと同じで、たぶん哲学をやっている人間の性癖というか職業病というか、要するに「業」のようなものかもしれないが、世の中にはそういう変わり者が一定の割合でいた方がいいのだ。