Scribble at 2025-02-26 10:44:18 Last modified: unmodified

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DOGE's only public ledger is riddled with mistakes (nytimes.com)

僕は、ベンチャー企業のようにリスキーでチャレンジングであることがなかば本質であるような事業活動についてはともかく、行政あるいは大多数の組織というものは、それらが手掛けている社会政策や事業活動の執務を行う人材、それからそれら政策や活動の対象となる人材が凡庸な人々であるという大前提を軽視してはいけないと思う。社会政策だろうと企業の経営だろうと、それからそれらの基礎になる社会科学の理論としても、それらが想定したり適用されるべきなのは圧倒的な質と量で人の社会を形成している凡人なのであって、決して一握りの talented や gifted のために考案されたり調整されるべきではないと思う。しかも、彼らは天才だろうとハーヴァードの首席だろうと大企業の経営者だろうと、しょせん狭い特定の分野で人並み以上といったていどの才能があるにすぎないわけで、決して一人で学問全体を変革したり人類の叡智を大きく前進させるほどの人物でもない。たとえば、ビル・ゲイツは大金持ちだが、彼が P=NP 問題を解決なんてしてないわけだし、生成 AI 企業で働く高給取りのエンジニアの誰であろうと、量子コンピューティングの基礎を考案した実績をもつ人間なんて一人もいない。彼らは確かに僕らよりも色々と並外れて優れているし、それはそれで称賛すべきことだが、決して人類の代表でもなければ、彼らだけを想定して社会科学の理論や政策を考えたらいいというわけではないのだ。

上の事例はイーロン・マスクがアメリカの行政府で凡庸な人々を排除する政策を実行しているようすについてレポートした記事に関わる議論だが、これもまたベンチャー企業のアニマル・スピリットというか、脱法的にでも何や成し遂げてやろうという結果しか見ていない野心だけでものごとを動かそうとすることの愚かさの一例であろう。「世界一の金持ち」というのは、もちろんいつの時代にも誰かいたであろう。それこそ、縄文時代であろうと家に保管している壺の数で決められたかもしれない。でも、そんなことがあらゆる判断の正しさを保証するわけではない(特に新興の産業では、「正しい」ことをしない方が競合を出し抜けたりするものだ)。したがって、結果として世界一の大金持ちというだけの小僧に国の将来を託すなんてのは、「これまでこうだから、これからもこうだろう」なんていう予定調和でものごとを考える、それこそ凡庸な人間の妄想でしかない。

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