Scribble at 2022-11-01 10:26:36 Last modified: 2022-11-01 10:29:48

「私が参加した時には、女性を主人公とした『ガンダム』という話がありました。『ガンダム』の50、60周年に向けて、次の世代の少年少女に向けて作りたいという方向性で進めていました。10代の人たちからお話を聞くタイミングがあって、その時『ガンダムは、僕らのものじゃない。僕らに向けたものではない』という言葉があったんです。その言葉が刺さったんです。『鉄血のオルフェンズ』『機動戦士ガンダム00』などでも新しい若いファンが増えたと思っていましたが、『機動戦士ガンダムSEED』から20年たっていますし、既に歴史、壁のようになっている。それが入りづらさにもなっているのかもしれません」(バンダイナムコフィルムワークス、プロデューサー、岡本拓也氏)

機動戦士ガンダム 水星の魔女:女性主人公 学園を舞台にした理由 “新しいガンダム”の挑戦

ふだんはアニメやゲームの話は書かないのだが、連れ合いも僕も子供の頃からアニメもゲームも楽しんできた者でもあり、そして60歳に届こうかという年齢になっても喜怒哀楽の基準や対象が意味も必然性もなく変わるわけでもないから、もちろん今でも或る程度はアニメも観ているしゲームもプレイしている。とりわけ僕はちょうど「ファースト・ガンダム」が人気を博し始めた再放送の頃からガンダムの色々な作品を観てきて、自分でもそれなりに思うところはある。いちおう、僕としてはガンダム・シリーズの鍵となってきた「ニュータイプ」という発想は「UC」(ユニコーン・ガンダム)で一つの到達点に至ったと思っている。なので、それ以降のガンダムは何であろうと「ガンダム」というブランドを使ったバリエーションであって、単純にお話しとして楽しめばいいと思っている。なので、一部のオタクみたいに「何がガンダムなのか」に拘るようなことはしない。上記の、「LGBTQガンダム」とか「政治的に正しいガンダム」とか揶揄される新シリーズにしても、あるいは「任侠ガンダム」と呼ばれた過去の作品にしても、提供する側が同じブランドを使っている限り、それを「ガンダムではない」と観る側が断じる権利など、たぶんないのであろう。

しかし、上記の記事でもわかるように、ガンダムであるかどうかと商業的に成功するかどうかは、もちろん全く別の話である。実際、「任侠ガンダム」は視聴率も悪かったらしいし PTA からは袋叩きであった。どれほど MISIA が紅白で主題歌を歌おうと、結果は結果である。そして、もういまの10代は、そういうブランドとしてのガンダムに何らかの圧力を感じてしまうようだ。それは、何か感想を言うと眼鏡豚オタクから怒られるとか、そういうステレオタイプの話ではなく、彼らにしてみればガンダムは鉄腕アトムのような「古典」になってしまったということなのだろう。それに、もう少し言えば、いまどきの10代の若者がそんなにアニメを観ているのかという話もできる。友達との会話を合わせるといった事情がなくなれば、果たしてこれだけ NETFLIX の実写ドラマやゲームなど多様な娯楽にあふれている中で、アニメは本当に若者の生活あるいは心の中に、同じような価値なり意味として位置を占め続けていると言えるのだろうか。

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