Scribble at 2024-02-03 09:52:57 Last modified: unmodified

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大学に入る前から同人誌を作っていた事情もあって、それから何かを書くときの手順というか作法というか、その手の形式みたいなものへの思慕みたいなところもあって、何か文章を書くときの下準備として、調べ物を書き留めたり、あるいは自分自身の考察を試しに書いて展開してみたりということを、だいたい高校を卒業して東京で働いていた頃から続けている。

同じくらいの時期に、その頃は法社会学を勉強していたのだが、ニクラス・ルーマンの著作(翻訳書)で訳者がルーマンの逸話として、彼のカード・システムを紹介するという事例を見かけた。そして、膨大な数のカードを組み合わせて論文のテーマだとか論述の構成を考えているという話を、何か感心と揶揄と微妙な軽蔑が入り混じったような調子で書かれていたのを覚えている。現在でも、論文のテーマを考えたり、論文の構成を考えるときに、AI を利用するということに、感心しつつも微妙な軽蔑や不快感を表す人がいるらしい。たぶん、古代ギリシアでも学問の研究に論理学を活用しようと言い出したアリストテレスという人物には、似たような奇異の目が注がれたのであろう。

で、僕が東京で仕事の合間に勉強を始めたり同人誌の文章を書き始めた頃は、レポート用紙を愛用していた。というか、論文の下書きだろうと買い物メモだろうと、あるいは実家の親に送る手紙だろうと、何を書くにしても殆どレポート用紙を使っていたとも言える。そして、その頃に染み付いた習慣なり取り扱いの身体感覚が残っているからなのか、今でもノートを取るときには片側(右ページ)しか使わないという習慣が残っている。ノートの両方のページに書くこともあるが、それは単語ノートのように限られた場合だけであるし、仮に両方のページに書いたとしても、そのときは両方のページの下半分を空白として残したりしている。ただ、それは後から追記できるように余白を残しているのだけれど、レポート用紙の場合は裏面は単なる裏面であって、最初から記入するための面としては設計されていない。

レポート用紙に慣れ親しんだ理由は、いま思い返すと、やはり手の置き方が安定するからだ。僕は分厚いノートを使うことが多いのだけれど、ノートだと横書きの左面に記入するときは、まだ使い始めの頃は左のページがノート自体の厚みのせいで浮いてしまうため、下に何か挟まないと書き辛い。そして、ノートを使っていると、今度は右のページがノート自体の厚みによって浮いてくるため、今度は右のページに何か挟まないと書き辛くなる。こういう処置が煩わしい。もちろん、レポート用紙だって書き始めの頃は用紙自体の厚みが数ミリほどあるせいで、文字を書いているとページの右端へ近くなると手が浮いてしまう。そのため、手のひらの角度を用紙に対して安定させるためにレポート用紙と同じくらいの厚みがあるものを右側へ置かないといけないのは確かだ。でも、レポート用紙の場合は常に右へ置いてあればいい。左右で置き直すなんて面倒なことはしなくてもいい。

・・・とまぁ、そんなことで東京にいた頃から書き溜めたノートは、いまでも実家にファイリングしたまま数十冊が保管されているのだけれど、いつごろからかレポート用紙は全く使わなくなった。もう今では、レポート用紙を買って使った記憶は20年以上もない。あれほど猿みたいに使い込んでいたレポート用紙を、どうして使わなくなったのだろう。一つの理由は高校時代からワープロは使っていたのだけれど、複数行を表示する大きな画面のワープロを業務用だけでなくプライベートでも使うようになって、ワープロで文章を入力すること自体が下書きでもあり清書でもあるという文章の作り方になったからだ。つまり、下書きのデータを整形して清書とするようになり、レポート用紙に書いてから原稿用紙に清書するといった手順がなくなってしまったのである。そして、下書きどころか、レポート用紙に書いていたメモのような情報ですら、ワープロの別データという扱いで取り込んでしまうようになったので、ワープロ1台でメモから下書きから清書まで完結するようになり、そもそもレポート用紙どころかノートそのものを使わなくなったという事情が大きい。

ただ、それはいっときのことだ。いまでは、勉強して情報やら思いつきをノートに書き溜めることもあるし、もちろん「ほぼ日手帳」に思いついたことを文章として残すこともあれば、Google Keep にここで書くネタを入力しておくこともある。紙だけとか、スマートフォンだけとか、そういう正当性も合理性もない決まりを置かないようにしている。なので、いま勉強し直している古墳時代の本の読書ノートは、Stalogy(ニトムズ)の 365 days note の A4 版に片面だけ記入していて、これはレポート用紙を使っていた頃の習慣が影響しているのだろうとは思うけれど、かといってレポート用紙を再び使う気にはならなかった。でも、ここ最近はレポート用紙にも色々なものが出てきていて、ありきたりな罫線の上質紙というだけではなく、選択の幅が広がってきている。また、昔は書き貯めた後に専用の器具でパンチ穴を開けて、野暮ったい事務用のファイリング器具にまとめていたのだが、そういうのにも幾らか選択の余地が出てきたようだ。ただ、あれこれと色々な方式を単に試すだけでは全体として保管にも分類にも困ることになるので、文具好きとしては興味があるけれど、やはり勉強のノートは現在はルーズ・リーフが基本となっていて、特別なテーマに限って製本したノートを使っている。また、持ち運びできた方がいい単語帳とかプログラミング言語の「超絶最強マニュアル」のようなものは、MD ノートを使っている。いまのところ、こういう使い分けにレポート用紙がわざわざ割って入る余地はなさそうだ。

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