Scribble at 2025-08-11 11:58:36 Last modified: unmodified
This Project explores syntactic diversity found in varieties of English spoken in North America. By documenting the subtle, but systematic, differences in the syntax of English varieties, it provides a crucial source of data for the development of theories of human linguistic knowledge.
英語という言語は、他の多くの言語と同じく色々な経緯で異なる言語の影響を受けながら何百年もかかって変化している。それゆえ、短絡的に「英語は論理的な言語で、日本語は情緒的な言語だ」といった馬鹿話をいまだに語る無知な人間は多いわけだが、バカは英語のほんの一部、しかも初歩的でステレオタイプな語法や構文しか知らないので、英語が他の言語と同じく複雑で例外的な特徴や用法があることを知らないわけである。もちろん、バカはそういうことを知らなくても中学生に中学レベルの英語を教えたりはできるので、いっぱしの英語教師ヅラできるわけだが、僕らのように中学時代で大学レベルの英語をあやつり、教員も大学教師になってもいいレベルの人材が揃っているような環境では、そういう馬鹿話を真顔で口にするような人間は、英語教師どころか生徒にもいないわけである。それが、僕らが通ったようなレベルの学校と、受験勉強だけが取り柄の「進学校」の違いなのだろう。僕の母校や灘校とか開成高校のような学校は、そういう意味では「進学校」ではない。学問のレベルにまで入るようなことをやる学校では、進学なんてものは、それが東大だろうとハーヴァードだろうと、いちいち目標として掲げるようなことではないからだ。
さて、そういうわけなので、上に紹介しているような英語の色々な語法を調べているサイトがあるのは、もちろん驚くようなことではない。英語というのは、真面目に勉強すればするほど難しいと実感する言語であり、もちろんそれは僕の母語である日本語についても言えるし、おそらく多くの言語に言えることだろう。そして、それを興味深いか面白いと感じられるか、それとも自分の未熟な記憶と知性の範囲に収まらないことにイライラして、短絡的で馬鹿げた英語の読み物だけに埋没して良しとする人生を送るかは、あなたがたが自分で決めることだ。もちろんだが、こんなことだけで誰が、どちらが人として優越しているとか偉いなどと比較することは愚かであろう。しかし、英語に限って言うなら、僕は権威主義者なので、自分の身の程を知って限界を押し広げることに少しでも努力を費やすほうが偉いに決まっているのだ。僕らには、そういう傲慢な基準を後から来る若者や初心者に押し付ける責任があり、そんなことはいちいち「嫌われる勇気」などと三流ギリシア研究者の口真似などしなくても、まともな大人はみんな知っているのだ。