Scribble at 2023-10-11 07:29:11 Last modified: 2023-10-11 09:29:14

何か他人に向かってものを書くという経験は、確か中学に入って教室の後ろにある掲示板へ考古学に関する壁新聞のようなものを貼り出したのが最初の機会だった。当時の担任であった中西という国語担当の教師も、放課後に入る直前のミニ・ホームルームで紹介してくれたこともあったが、さほどフィードバックもなくて数回ほどで止めてしまった。

中学では「社会科クラブ」に入っていて、3年では部長も務めたのだが、そのクラブでは毎年の発表会に向けて各自で取り組んでいるテーマの成果を模造紙に書いたり、あるいは参考になる模型やら資料を自作して、部室であった視聴覚室に並べたものである。また、アニメ・ファンであった同級生に乞われて、マクロスやらボトムズやらというアニメ作品について何か文章を書いた覚えもある。おそらく中学の終わり頃になると、だんだん歴史や考古学についての関心が減退して、代わりに社会思想や哲学に関心が変わっていったという経緯で、殆ど歴史の専門的なテーマは(いや、高校の授業でやる日本史や世界史すら)勉強しなくなって、アニメだとかウォーゲームだとか、それなりに子供らしい興味に傾いていった時期だったと思う。

それから高校に入ると、陸上部、ESS、物理部、数理科学部、地理歴史研究部、そして文藝部に所属して、ESS と数理科学部では部長も兼ねていた。また、放送部でアナウンスも担当したし、高校の自治会執行部で副会長もやっていたため、かなり授業以外にもやることは多くあったのだが、だいたい高校の2年くらいから「選択制の引きこもり」みたいな状態になって、殆どの教科で出席単位が足りなくなった。なにせ、授業を無視して自宅でフランス思想の本などを読んだりアルバイトに行って、夕方になると登校してクラブに出るという奇妙なことをやっていたため、登校拒否とか引きこもりという範疇には入らないであろう、かなりおかしな学校生活を送っていた。このときも、文藝部では『ノアール』という冊子を発行していて、短編小説や評論などを書いたことがあるし、毎週のように文藝部からの週報といった体裁で、全学年のクラスに藁半紙1枚のプリントに持ち回りで文章を書いて配っていたりした。それから地理歴史研究部では1年単位で瀬戸内海の島を選んで、各自で歴史や民族や交通あるいは教育などというテーマを選んで担当し、年次の終わりにクラブの活動報告として冊子を発行するという伝統があった。僕は広島県の生名島という、因島の西にある小さな島を取り上げたときしか満足にクラブへ参加していなかったので、それ以外の年度でどこの島を取り上げたのかすら知らないのだが、その生名島だけは夏休みに全ての部員で現地へ赴いて、色々と調べ物をした記憶がある。確かそのときに、僕は考古学も担当したはずだが、どちらかと言えば下水道行政に関心をもって調べた。その時の経験から、いまでもダウンストリーム行政なり水質のマネジメントについては、一定の関心がある。たぶん、marine debris に関心があったのも、そういう経験と関係があるのかもしれない。

そして高校生の頃は、ロシア語のタイトルで『ヴィ・チターリ?(君は読んだか?)』という冊子を一人で作って友人に配っていたりした。内容は、時事についての評論とか空想的な文章とか、たいていは下らないものだったが、20回ほど発行していたあいだに編集の技法とか考え方についても調べることがあって、それなりに発行物としての体裁を整えることにも関心をもつようになった。そうして、大学に入ると友人たちからも寄稿してもらって、何度か同人誌をつくって印刷屋に製本までしてもらうといったことをやった。学部時代のあいだだけだったが、哲学の指導教官であった中澤義和先生や、ドイツ語を教えてもらった合田祥子先生にも配っていた。その頃の文章は、なにほどか読むに値するところもあろうと考えて、PHILSCI.INFO に何本か公開してある。

こうして考えてみると、ウェブで文章を公開することで不特定多数の人々がアクセスできるようになったという大きな違いはあるけれど、もちろん公開されているからといって読まれる保証はない。検索されたりアクセスされなければ「ない」も同然であるのは、動かしがたい事実である。しかし、それは自費出版して書店に並べている本も同じだし、それを国立国会図書館へ収めようと同じことだ。それでも、近所の印刷屋に依頼して10冊ていどの同人誌を作ってばら撒いていたのと比べて、明らかに状況は異なる。これだけでも興味深いし、或る意味では全く知らない人にも読まれるという可能性なりリスク(そうして相手がどう感じたり評価するかはともかくとして。もしかすると、京アニ事件のように僕の文章を読んだ人が「アイデアを取られた」などと妄想に落ち込み、ガソリンを買い込んでやってくるかもしれないわけだが)桁違いに高くなるのだから、なんとも奇妙な時代になったものである。それゆえ、愚かな人々が全能感に浸ったり、セカイ系の妄想に陥ってしまうのも無理はない。しかしどうあれ、ひとまず同人誌を発行していた頃と比べて随分と様変わりしたものだという、一つの驚きは、当たり前のようにウェブのコンテンツを利用している人々に伝えておきたい。そして、中国やロシアや他の後進国を見ても分かるように、そういう状況は政治的・経済的・技術的な安定なしには維持できないのであって、少なくともこれら三つの要因を適度なレベルで維持する責任が、社会人であろうと子供であろうとサラリーマンであろうと専業主婦であろうと、その共同体なり国で生活している限りは誰にでもあろうと思う。もちろん、ルフィーやヤクザや半グレや情報商材詐欺師どもにも、責任はある。

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