2018年08月10日に初出の投稿

Last modified: 2018-08-10

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心斎橋からアメリカ村にかけて若者や観光客で賑わう一帯のビルや商店の壁に、しばしば意味不明な形象の落書きが描かれているのを見た人は多いだろう。現在は「タギング(tagging)」と呼ばれていて、いっときはストリート・アートやグラフィティ・アートの一種だと言われたこともあったが、もともとはアメリカの西海岸で生まれたギャングの縄張りを表すマーキングであり、殆どが建物の管理者の許可を得ていない犯罪(器物損壊)である。

そして、僕はこれについて既に何年も前から、どうして日本の社会学者は誰も研究したり調査しないのかと非難してきた。はっきり言って怠慢としか言いようが無い。日本の社会学と言えば「五大噺」と言われているように、部落・在日外国人・沖縄・社会福祉・女性という、はっきり言えば差別をネタにしていれば食っていけると揶揄されていることからもわかるように、非常に研究範囲が狭い(LGBTQ とヤクザを足して「七大噺」と言ってもいいだろう)。また業績としても大半がルポのようなものであり、さらにはルーマンやブルデューというブランドの輸入中古販売業者との乖離も起きているように見受ける。調べてみると、せいぜい東京工業大学の土肥真人さんの学生が修士論文で扱っている事例があるくらいで、タギングについてのプロパーの著作は皆無だ(「落書き」ではない)。そして、既に大阪でもタギングは下火になってきていて、恐らくあと数年もすれば建物の管理者が放置しない限り街中からは消えてしまうのではないか。その後になって、またぞろ大阪にはこういうものがあったのだと、センチメンタルで学術的には何の役にも立たない文章が山のようにブログや雑誌の類に書かれることになるのだろうか。

もちろん、タギングとストリート・アートの区別が難しい場合があるのはわかるので、このような行動を一律に「どうして彼らはタギングしようとするのか」などと勝手に "mondainization" するのは軽率というものだ(大人や学者が未熟な社会経験で世の中に起きていることを勝手に一定集団の病理や問題行動と捉えることを、敢えて《モンダイ化現象》と名づけたい。共産党系の活動家などにありがちな思い込みのことだが、もともとはイデオロギーの区別なく愚かな人間はみんな陥る)。犯罪集団の符牒から縄張りのマーキングにいたる犯罪行為へは厳正に対処するのが当然だとは言え、外形上は殆ど区別がつかない「落書き」を見境なく罰していたのでは、割れ窓の話をいまだに繰り返す口先マッチョと同じであろう。そういう、幾つかの条件にしたがって単純にアメリカ人に倣った犯罪行為とだけ言っていればいいわけでもないと考えられる複雑さが予想できるからこそ、専門の研究者が調査したり検討しておくべきなのである。

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