Scribble at 2024-01-13 13:43:40 Last modified: unmodified

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近年、死はプライベートの出来事になったようです。

死はプライベートの出来事になった

だから?

この手の、流行ってる言い方を使うなら「社会学語法」とでも言えばいいのかな。世の中で起きてることをただ単に言葉で指摘さえすれば、なにか学問とか思想とかを語ってるかのような錯覚を引き起こしているようなんだよね。だから、みんなこのていどのことをブログや X で書けば簡易社会学者になれる。というか、既に日本の社会学者の大半が、目立つことを風変わりな言葉で指摘さえすれば学術成果になるという集団催眠に陥っているかのようだ。したがって、在日の人たちや同和地区出身者や AV 女優志望の女性、あるいはアイヌだとか移民でもいいし釜ヶ崎のおっさんでもヤクザでも自衛隊員でも、あるいは東京や大阪の繊細で素朴な都会人たちいいけどさ、とにかく色々なところで色々な理由で細々と暮らしていたり差別されている人々について、殆ど外野で喚くか些末なフィールドワークの聞き書きを分厚い本として出版することが彼らの仕事になってしまっている。

結局、排除する社会だなんだと騒いでおいて、その最も強力な下支えをしているのは、役にも立たない夥しい数の文章やら、あるいは彼らのお気に入りの言い方なら「言説」とやらをバラ撒き続けて、こういう(哲学者としてこういう専門用語の濫用は心苦しいが)言語ゲームで戯れていれば何かやっているかのような自己欺瞞に陥っている人々だと思うんだよね。

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