Scribble at 2023-11-15 13:58:55 Last modified: unmodified
読売新聞の、冒頭に概要を述べて署名するというスタイルは好感が持てる。もちろん内容によっては記者が襲われたりするリスクがあるので、僕は記者の実名である必要はないと思うのだが、どのみちペンネームでもバレたらおしまいである。記者が記事の内容によって危害を加えられるような、野蛮で未熟な社会とならないようにすることが大切なのだろう。そういう意味も含めて、読者も報道機関を牽制したりサポートしていかなければ、どういう業界であっても簡単に零落したり衰退してしまう。
さて、記事の内容についてだが、たとえ有名人であってもこういうことはいずれ起きる。どれほど日本に金持ちの俳優がいても、こうしたことに私財を投じる人なんて少ない。そして、結局は記録や記憶を永久に保存したり維持しようというのは、儚い願望であろう。極端なことを言えば、国立国会図書館に収められている蔵書ですら、日本が仮にでもロシアに占領されたりしたら跡形もなく焼却されてデータも消去される可能性がある。というか、この国は公僕である国家公務員がそもそもデータを「てへぺろ」で抹消してしまうのだから、情報の長期的な保存なんて望むべくもないし、それどころかロシアの話は別としても、そういう望みには思想としての健全さがないと僕は思う。もちろん、だからといって刹那的に生きよと言っているわけではない。