Scribble at 2026-10-18 18:35:29 Last modified: unmodified
このところは、『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』が完結していないままハマってしまったおかげで、この世界観やテーマを考えたり理解することに着目(というか執着)して、すっかり『白夜行』の世界観やテーマを自分として整理するという執着から切り離せた。まぁ、その代わりに『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』への執着が始まっていて、しかもストーリーが完結していないのだから、こちらへの関心は今後も続くと思う。
考えてもみれば、論説としてまとまった文章を書いていないだけで、実はここ数年にわたって似たようなことが何度もあったのだ。たとえば『ダイヤモンド広場』についても暫く調べたり考えたし、『掃除婦のための手引書』について、『カヴァレリーア・ルスティカーナ』について、ブッツァーノの作品について、あるいは日本の作品についても幾つか執着して色々と考えてしまい、眠れなくなったことがある。
で、たいていは面白いんだよね。だからこそゲームのように止められないわけで、もちろんこれはいけない傾向だ。文学作品を解釈したところで自分の生活や人生が豊かになるとは限らないからだ。いわゆる推測ゲームをやっているにすぎず、そこからきちんと自分の生き方や考え方にフィードバックさせなくては、それはただの読書家みたいなものだ。読書家・乱筆家に賢人なし、これが僕の教訓である。
したがって、論説でも少し書いているが、恋愛のストーリーや清々しい人の生き方に感動してストーリーを掘り下げたいというシンパシーの欲求だとか、その世界観やストーリーをわがものとしたいという欲求は、小説だろうと映画だろうと漫画やアニメだろうと文芸作品に感心した人の多くに起きる衝動だとは思うが、それは冷静に制御しなくてはいけない。
そういう精神衛生を健全に保つために有効なのは、何日か前に書いたことだけではなく、他の作品を見つけることに関心を移すことだ。一つの作品にずっと執着していられる場合があり、今回の『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』みたいに物語として完結していなければ、完結するまで関心が無為に持続してしまう可能性がある。なので、同じようなテーマとか、よく似た境遇の主人公の話とかにも手を広げて、同じような生き方や境遇にある人は他にもたくさんいると知ることで、たった一つのケースに拘泥する必要はないと自覚すればよいのだ。高卒でスーパーのレジ係として働いてる健気な女の子・・・そんなの、職業や人物を置き換えたら、世界中に幾らでもいるだろう。いや、もっと辛い境遇でも頑張ってる女の子というだけであれば、更に数えきれないほどいるに違いないのである。その子らが山田(田山)のようなルックスでないからといって、無視してよいわけはない。そう思うなら、一つの、しかもしょせんは創作に過ぎない話にばかりこだわり続けるのは、逆に作者の意図を歪曲していることになろう。なので、僕がアニメや映画の「聖地」という話題に強い拒否感を覚えるのは、これが理由だ。仮にそんな場所があったとして、スーパーに通い詰めて美少女がレジ打ちしてたり、仕事が上がったあとにバックヤードで煙草を吸ってて招き入れてくれるとか思う? そんなこと考えてたら、それこそ重篤な妄想だと思う。そういう人にアニメの「聖地」へ足を運ぶ余裕があったら、寧ろどこかの病院の精神科を受診することを勧めるね。