Scribble at 2023-03-03 13:06:46 Last modified: 2023-03-03 14:21:11

そろそろ PHILSCI.INFO で取り上げている分野についても手を付けておきたい話題が幾つかあるので、今年から再び調べ直してみたい。広い意味では「意識の哲学」というジャンルの話題だし、その中でも "realizability" という概念に関わる議論だ。つまり、SF オタクやシンギュラリティ・ビリーバーが言う「意識のアップロード」とかいう観念を、哲学の話として真面目に処分しておきたい。最初からこう言ってるのだから、僕はこの観念が問題外の錯覚だと思っているのだけれど、それは予感にすぎないので、やはりきちんと議論して叩き伏せておきたいわけである。

もちろん、realizability をみだりに疑っていたり信じているわけではない。単にこれを概念として定式化することが難しいと思っているだけである。素人なら簡単に(何についての "reality" なのかという点を考えないせいで)論点先取に陥ってしまうだろう。だが、プロパーあるいは僕らのようなレベルのアマチュアだからといって、何か哲学的な予断なり背景のない定式化を立てられるという保証はなにもないし、寧ろ何らかの背景をしっかりと定めて、その正当性を整えつつ realizability の概念を定式化するべきなのだろうという予想を立てている。

ここで、可否がわからないこと(意識のアップロードとか)を考えるにあたって、その可能性を検討する脈絡とかレベルというものがある。

・哲学的(論理的)に可能か

・物理化学的に可能か

・生物学的に可能か

・技術的に可能か

・経済的に可能か

・社会道徳的に可能か

・主観的な決断として可能か

僕らが哲学の議論として何事かを検討する場合には、もっぱら物理的な可能性と論理的な可能性とだけに着目していることが多い。それは、論理的に不可能だと分かったことは概念として矛盾しているということに等しい(場合が多い)ため、それはどういう宇宙なり世界であろうと(いわゆる可能世界だとか、ラノベ的な漫画的とも言いうる世界であろうと)物理的な事実としてどうであろうと実現しないと考えられるからだ。もちろん、そこから更に(別の意味で)リアリティーのある脈絡やレベルに話を「落とし込む」ことが、何も哲学をやってるからといって下世話だとか無視していいと思っているわけではない。物理的に可能であり、更には経済的にも安価に実現可能であれば、それは現実の期待なりリスクなりとして真面目に(一人の一般人としても)検討する余地があるからだ。

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